拉致被害者の田口八重子さん=失跡当時(22)=の兄で、家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)が17日、埼玉県川口市で講演し、田口さんが拉致され、船に乗せられた場所について「宮崎県の青島」と初めて話した。
飯塚さんは「(拉致現場は)これまで新潟県佐渡島と宮崎の青島の2つの説があった」とした上で「(田口さんは)青島から船に乗せられ、北朝鮮の南浦に連れて行かれた。その後、袋をかぶせられたという話を関係者から聞いた」と述べた。
講演は「救う会埼玉」主催の支援集会で、市民ら約100人が参加した。
http://www.sankei.co.jp/news/040117/0117sha079.htm
総連関与なしに拉致はできない
北の補助工作員が初めて証言田口さん事件と接点?
産経 04年2月16日
李工作員と支援の大物商工人を結ぶ北のスパイ。警察幹部がそう断言する男がいる。田口八重子さん=当時(二二)=拉致に関与した北朝鮮の李京雨(リギョンウ)工作員らを国内で支援していた補助工作員とみて、警視庁公安部が十数年前、内偵捜査を進めていた人物だ。その男が初めて取材に応じ、
「拉致は総連(在日本朝鮮人総連合会)の人間の関与なしにはできない」と、ようやく重い口を開いた。自民党の故金丸信氏は平成二年の訪朝前、総連中央本部を家宅捜索する方針を固めていた公安部の内偵事件を「圧力」でつぶしたとされる。その事件のコードネームは「零余子
(ムカゴ)」と呼ばれた。オニユリなどの葉の付け根にできる球状の芽のことで、捜査対象がこの男だった。容疑は外国人登録の申請内容に虚偽があったとする外国人登録法違反などだが、公安部の狙いは別にあった。公安部は昭和五十四年以降、工作員支援網の中心人物として総連系商社を経営していた大物商工人をマーク、その人脈解明を「やまぶき作業」と命名して続けていた。「男と李工作員に面識があるとの情報が寄せられた。自宅には不審なアンテナもあった。大物商工人とも親しく、李工作員と大物商工人を結ぶ人物として一躍クローズアップされた」と、公安部OBは振り返る。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/16na1001.htm
北朝鮮による拉致被害者、田口八重子さん=失跡当時(22)=の長男の飯塚耕一郎さん(27)が23日、外務省を訪れ、大韓航空機爆破事件にかかわった金賢姫元工作員=韓国在住=あての手紙を斎木昭隆審議官に託した。
同席した田口さんの兄で拉致被害者家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)によると、斎木審議官は「韓国の日本大使館を通じ渡したい」と答えたという。
田口さんは1978年に拉致され、北朝鮮で金賢姫元工作員の教育係をしたとされる。耕一郎さんは「母のことを教えてほしい」と手紙に書き、金元工作員との面会を求めている。
繁雄さんの子供として育てられた耕一郎さんは23日午後、東京都内で初めて記者会見する。
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040223/20040223a4680.html
「金賢姫元工作員と面会を」田口さんの長男が外務省に手紙託す 産経 04年2月23日
北朝鮮に拉致され死亡したと伝えられた田口八重子さん=拉致当時(二二)=の長男、飯塚耕一郎さん(二七)が二十三日、外務省を訪れ、田口さんについての情報提供を求めるため、昭和六十二年に大韓航空機を爆破した金賢姫・元北朝鮮工作員へあてた手紙を職員に託した。耕一郎さんが拉致被害者の家族として公の場に出るのは初めて。
田口さんは昭和五十三年六月ごろ、高田馬場のベビーホテルに耕一郎さんら二人の子供を預けたまま拉致された。金元工作員に日本語などを教えていた「李恩恵」という女性が田口さんだったとされる。
平成十四年九月に小泉純一郎首相が訪朝した際、北朝鮮側は「宮崎市の海岸で田口さんが『北朝鮮へ観光に行きたい』と言うので連れてきた。昭和六十一年七月、交通事故で死亡した」と回答した。
田口さんの兄で拉致被害者の家族会副代表、飯塚繁雄さん(六五)に育てられた耕一郎さんは、繁雄さんが最前線に立って活動する姿を見て、一緒に活動することを決意。同省の斎木昭隆審議官に手紙を託した際、「今までずっとできなかった金元工作員との面会を果たし、母を捜したい」と求めた。
http://www.sankei.co.jp/news/evening/e24nat003.htm
「母よ元気で」「金元死刑囚も犠牲者」田口さん長男会見 朝日 04年2月23日
78年に北朝鮮に拉致され、金賢姫(キム・ヒョンヒ)・元死刑囚の日本語教育係「李恩恵(リ・ウネ)」だったとされる田口八重子さん(不明当時22)の長男飯塚耕一郎さん(27)が、23日午後、東京都内で記者会見を開いた。耕一郎さんはこれまで、公の場に出たことはなかった。1歳の時に姿を消した母親への思いや、6年前、田口さんの長兄で育ての父親の飯塚繁雄さん(65)から母親について打ち明けられた時のことなどを語った。
「田口八重子の長男です」。耕一郎さんは、報道陣のライトを浴びながら、ゆっくり言葉を選ぶように話し始めた。
「今回(の記者会見)は勇気のいることでしたが、解決のきざしが見えないこの問題に、私なりに何かできないかと考えました」
母親について「一片でも思い出をつかみたい」と思い、この日、金賢姫元死刑囚あての手紙を外務省に託した。「(李恩恵が)母と同一人物かどうか、お会いして確認したい」と書いたという。母への思いを問われると、「元気でいて下さい。心が詰まって、それ以上は何も言えない」と答えた。
北朝鮮に対しては「悲しい国だと思う」。田口さんは死亡したと北朝鮮は発表したが、「確度のないものと信じている」とした。金元死刑囚については「怒りや憎しみは持っていない。彼女も利用された犠牲者だ」と述べた。
繁雄さんに母親のことを打ち明けられたのは21歳の時。「何不自由なく幸せに育てられてきたので、衝撃はあったが、少しずつ事実を受け入れなければならないと思った」。同時に耕一郎さんは、事件をどう解決するべきかを考えるようになったという。だが、自分に大きな動きができるわけでもない。「もどかしい気持ちだった」と振り返った。
真実を「告白」された後、繁雄さんへの気持ちが変わったかどうかとの質問も出た。この時、耕一郎さんは語気を強めて言った。「先ほどから申し上げている通り、飯塚繁雄は私のおやじです」
◇
北朝鮮が02年に日本政府に明かした情報によれば、田口八重子さんは78年6月、宮崎県から北朝鮮に連れ去られた、とされる。北朝鮮での名前は「コ・ヘオク」。86年7月、交通事故で死亡したという。
バグダッド発ソウル行き大韓航空858便(乗員・乗客115人)が爆破されたのは87年11月。実行犯の金賢姫・元死刑囚は、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本語を習ったと手記に書いている。
しかし、北朝鮮は、田口さんが金元死刑囚に日本語を教えたことなど、大韓機事件とのつながりは否定している。
http://www.asahi.com/national/update/0223/044.html

左から兄さんの飯塚繁雄さんとご子息飯塚耕一郎さん。
拉致被害者:田口八重子さんの長男が初めて公の場に 毎日 04年2月23日
北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(行方不明時22歳)の長男、飯塚耕一郎さん(27)が23日、東京都内のホテルで記者会見し、「元気でいてください。今後はあなたの奪還にまい進していく」と早期救出を訴えた。1歳の時に、田口さんが拉致されて以来、公の場に出るのは初めて。会見前に外務省を訪れ、母が「李恩恵(リウネ)」として日本語教育係をしたとされる大韓航空機爆破事件の実行犯の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚に情報提供を求める手紙を託した。
田口さんは都内の飲食店員だった78年6月、託児所に耕一郎さんと2歳の長女を預けたまま行方不明に。耕一郎さんは伯父の飯塚繁雄さん(65)夫婦に引き取られた。
田口さんが、北朝鮮に拉致されたと判明したのは、失跡から13年たった91年5月。金元死刑囚の供述などからだった。7年後、耕一郎さんが21歳になった夏に飯塚さんから母の存在を告げられた。「お前は、お父さんの一番下の、妹の子なんだ」。埼玉県上尾市の自宅近くのすし屋でそう切り出した飯塚さんは、会見で「既に成人し、大人としての人格を認めて安心して話した」と語った。
「何不自由なく育った幸せな家族」と思いこんでいた耕一郎さんには大きな衝撃だった。「でも時間をかけて受け入れなければ。その時まで隠し続けてくれた家族には、感謝しよう」。そう思った。
耕一郎さんは、被害者5人の家族の帰国で幕引きにされたくないと活動を続けている父の背中を見てきた。今回、沈黙を破った理由を「(拉致問題で)私なりに何かできないかと考えた。解決への第一歩になると信じたい」と述べた。
耕一郎さんは情報通信関連の会社員で、海外出張など多忙な生活を送るが、今後は家族会に入会し活動するつもりだ。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040224k0000m040069001c.html
田口八重子さん27年前の笑顔 産経 04年4月8日
子供と一緒の写真見つかる
北朝鮮に拉致された田口八重子さん=当時(二二)=の二十七年前に撮影された写真がこのほど見つかり、長男、耕一郎さん(二七)の手に渡った。母親の記憶がない耕一郎さんは「幸せな家族だったと分かってよかった。早く母を日本に連れて帰り、笑顔を取り戻してあげたい」と話している。
耕一郎さんを引き取って育てた田口さんの兄、飯塚繁雄さん(六五)によると、子供と一緒の田口さんの写真が見つかったのは初めて。
保管していたのは、埼玉県川口市のアパートで田口さん一家と親しかった主婦、奈良好子さん(五九)。今年二月に初めて記者会見した耕一郎さんが「母の思い出を一片でも欲しい」と訴えるのをテレビで見て連絡した。
「若いお母さんだったけど、けなげに子育てをしていた。笑顔が印象的で料理上手でした」
撮影は昭和五十二年八月。自宅でくつろぐ田口さん母子三人と奈良さんの子供たちが写っている。その後、夫と別れた田口さんは東京都豊島区の飲食店で働き始め、五十三年六月に一歳だった耕一郎さんと二歳の姉を託児所に残して拉致された。
色あせた写真の中に初めて見た、母の笑顔。「失われた時間はもう取り戻せない。幸せだった家庭がなぜ突然なくなり、二十年以上も放っておかれたのか」。耕一郎さんは憤りを新たにするとともに、いつか飛行機のタラップを下りてくる母を迎える日が来るのを固く信じている。
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_53_1.htm

この写真提供したおばさん、当時と変わってないな〜
飯塚耕一郎さんの金元死刑囚への手紙は拒まれ 北海道新聞 04年5月30日
田口八重子さんが拉致された時、長男は1歳 金元死刑囚への手紙は拒まれ… 飯塚さん
拉致被害者家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)=埼玉県上尾市=は日朝首脳会談以降、落胆を深めている。妹の田口八重子さん=失跡当時(22)=は大韓航空機爆破事件の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚の日本語教育係李恩恵(リウネ)とされ、その長男で飯塚さんの養子耕一郎さん(27)は二月、元死刑囚に面会を求める手紙を出した。しかし最近、受け取り拒否が伝えられた。首相再訪朝でも田口さんの新情報は皆無。飯塚さんが家族の苦悩を語った。
「思い出一つ持てずに母を奪われた。写真が一枚あるだけ。しかられたことも、抱っこされたことも、声を聞いたこともない」
飯塚さんは一歳で母親を拉致された耕一郎さんの生い立ちを思いやる。
田口さんは一九七八年、東京都内のベビーホテルに耕一郎さんと長女を残して失跡した。北朝鮮は前回の首相訪朝時「死亡した」と発表した。
耕一郎さんが外務省に託し、金元死刑囚に面会を求める手紙を出したのは「母の思い出を一片でもほしい。記憶にない母親の像を少しでもつくりたいという悲壮な思いからだった」(飯塚さん)。しかし、外務省から最近「本人は手紙を受け取らない意向」との説明を受けた。理由の説明は一切ないという。
金元死刑囚は現在、韓国政府の厳重な警備の下、外部との接触を断っている。飯塚さんは「息子も『簡単にはいかない』と覚悟を決めたようだが、丹念に思いを込めた手紙だったので、相当な落胆ぶりだった」と語る。
一方で、飯塚さんは「受け取らないのは本人の意思ではないと思う。(元死刑囚の)著書から読み取れるのは『いろいろと話してあげたい』という思いだ。しかし、当局が許さないのではないか」と推測する。
今回の首相再訪朝でも「死亡・不明」とされた十人について新たな情報はもたらされず、また期待を裏切られた。飯塚さんは「息子は再訪朝の結果に『この怒りをどこにぶつければいいのか』とやり切れない様子だ」と言う。
飯塚さんは「あきらめるわけにはいかない。息子と二人で被害者救出のため、担える役割はすべて担っていきたい」と決意を語った。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040527&j=0071&k=200405277009
田口八重子さん、マレーシア経由で拉致か 読売 04年5月21日
拉致被害者で、北朝鮮側が「死亡」としている田口八重子さん(当時22歳)が失跡した当日、貿易代表団の一員として来日していた北朝鮮の特殊機関の幹部が突然、予定を早め、マレーシアに出国していたことが、警察当局の調べで新たに分かった。
田口さんはだまされて、この幹部に国外に連れ出された疑いが濃厚で、警察当局は渡航経路の確認を急ぐ一方、今後の日朝交渉で、こうした疑いを提示し、真相解明を迫る方針だ。
1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚の教育係「李恩恵(リ・ウンヘ)」だったとされる田口さんは、東京・池袋の飲食店に勤めていた78年6月30日、2人の子どもをベビーホテルに預けたまま姿を消した。
北朝鮮当局は一昨年9月、日本政府の調査団に、「宮崎市の青島海岸から船で連れ出した」などと説明したが、その後の警察当局の捜査で、田口さんが宮崎に向かった形跡や、当時、九州南岸に不審船が接近していたとの情報は確認できず、この説明を裏付けることはできなかった。
このため警察当局は、当時の全国の空港や港の出入国記録を洗い直す必要があると判断。その過程で、田口さんが失跡した数日前から、北朝鮮の在マレーシア大使館の2等書記官が貿易代表団の一員として来日しており、この書記官が田口さんの失跡当日、当初の予定を切り上げ、成田空港からマレーシアの首都クアラルンプールに出国していたことが判明した。
また、田口さんが失跡の数日前、店の常連だった在日朝鮮人の男から、「いい仕事がある。3日で帰れる」と誘われていた、という新証言も得られた。
警察当局は、「李恩恵=田口さん」と断定した91年5月当時から、この常連客が、「宮本明」と名乗る在日朝鮮人の工作員と同一人物ではないか、とみていた。
さらに、米韓両当局からの情報で、在マレーシア大使館の2等書記官を身分として、極東地域の工作活動の責任者をしていた北朝鮮特殊機関の幹部が、「宮本」工作員とマレーシアで接触していたこともつかんでいた。警察幹部は、「その幹部が、田口さんが失跡したその日にマレーシアに戻ったという新事実が判明したことで、ようやく点と点が1本の線につながった」と指摘する。
警察当局では、「宮本」工作員にだまされた田口さんは、偽造パスポートを渡されたうえで、この特殊機関の幹部とともにマレーシアに渡り、その後、北朝鮮に連れ出された疑いがあるとみて、当時の航空便の記録や、北朝鮮に入ったルートの確認を進めている。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040521i104.htm
田口さん入国経緯は虚偽? 地村さん証言と食い違い 産経 04年9月17日
拉致被害者北朝鮮調査
北京で先月十一、十二日に行われた日朝実務者協議で北朝鮮側が伝えた拉致被害者の入国経路の調査結果の中で、田口八重子さん=拉致当時(二二)=の入国場所が、帰国した拉致被害者の証言と食い違っていることが十六日、分かった。二年前の日朝首脳会談で北朝鮮側が「死亡」や不明などとした十人の安否不明の拉致被害者について、金正日総書記は今年五月、「あらためて調査をやり直す」と約束したが、再調査でも信用できない説明をしていたことになる。
北朝鮮側は北京での実務者協議で、田口さんの入国場所を、北朝鮮南西部の「海(ヘ)州(ジユ)」と伝えてきた。ところが、拉致直後から田口さんと同じ招待所で暮らしていた福井県小浜市の地村富貴恵さん(四九)は帰国後、田口さんの兄、飯塚繁雄さん(六六)に「八重子さんは南浦(ナンポ)港に連れてこられたと聞いた」と証言した。
二年前の日朝首脳会談で、北朝鮮側は、日本政府が認める拉致被害者十五人のうち十人について「死亡」、「承知していない」と伝えてきたが、科学的根拠が一切なかったため、日本政府は再調査を要求。今年五月の二度目の首脳会談で金正日総書記はあらためて調査し直すことを約束した。
これを受けた先月の実務者協議で、北朝鮮側は「調査は継続中」とし、拉致被害者らの入国経緯・場所のみを伝えたが、その説明にも信用できない内容が含まれていたことが表面化した形だ。飯塚さんは「北朝鮮がうそをついている一つの証拠」と反発している。(09/16)
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm
田口八重子さんと横田めぐみさんの同居時期の説明で食い違い 04年11月21日
拉致被 害者・田口八重子さんが横田めぐみさんと一緒に暮らしていた時期について、日朝実務者協議での北朝鮮側の説明が蓮池薫さんらの証言と異なることがわかった。
北朝鮮側は「81年から84年まで」としているが、日朝関係者によると、蓮池薫さんらは「84年から86年まで」と証言している。北朝鮮側が説明した時期は、大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚に対し、「李恩恵」という女性が日本語を教えていたとされる時期と一部重なっている。
家族会では、北朝鮮側が田口さんと「李恩恵」が同一人物であることを否定するために、時期を変えた可能性もあるとみている。
一方、拉致被害者・曽我ひとみさんの夫で、禁固30日の判決を受け、収監中のジェンキンスさんについて、刑期が短縮され、今月末には釈放される可能性が極めて高いことがわかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20041120/20041120-00000021-nnn-soci.html
田口さんが金賢姫に日本語指導 地村さん証言 毎日 04年12月9日
北朝鮮側はこれまで、大韓航空機事件への関与だけでなく、田口さんは朝鮮名で「高恵玉(コヘオク)」と言い、「李恩恵」とは無関係、と主張している。
関係者によると、富貴恵さんは子供が帰国した今年5月以降、田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)や政府関係者に対して証言している。富貴恵さんが78年7月に拉致された直後から招待所で一時同居していた田口さんから聞いた「オッカという工作員に日本語を教えている」との内容だ。
富貴恵さんは「オッカ」という発音しか知らないとされる。これに対して、87年11月に起きた大韓航空機爆破事件の実行役の金元死刑囚は、韓国側の調べで、工作員として指導員から教育を受け始めた時に、今後は「金玉花(キムオッカ)」との偽名を使うよう指示された。金元死刑囚は「金玉花」の名前で、旅券を作成したことも分かっている。
また、金元死刑囚に対して、日本語を教えたとされる「李恩恵」を名乗る日本人女性は、日本側の警察当局の調べで、金元死刑囚の供述などから田口さんであることが判明している。
大韓航空機事件への関与を否定している北朝鮮側は、先月の日朝実務者協議でも、田口さんが横田めぐみさん(行方不明時13歳)と81年から84年まで一緒に生活していたと説明。金元死刑囚が「李恩恵」と同居して教育を受けたとされる期間と重なることから、家族会などは、横田さんの履歴を捏造(ねつぞう)して李恩恵を否定したと批判している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041209k0000e040085000c.html"
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→拉致被害者によりやはり李恩恵=田口八重子さんであると。当然といえば当然だが、これでミスっていたらまた大谷や鳥越に叩かれていたんだろうな
田口八重子さんの救出要求へ NHK 05年1月24日
これは田口さんの兄の飯塚繁雄さんらが、地村富貴恵さんから直接聞いたものです。それによりますと、田口さんは昭和53年6月に拉致されたあと、ピョンヤン市内で一緒に暮らしていた富貴恵さんに「工作員になってでも海外に出ていき日本大使館に駆け込もうと思っている」と打ち明けたということです。その後昭和60年ごろ、田口さんは再会した富貴恵さんに「オッカ」と名乗る女性工作員に日本語を教えていたと話したうえで「その女性工作員に『私も工作員になれるだろうか』と尋ねると絶対に無理だと言われ脱出を断念した」と話したということです。オッカという名前は、大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚が自分の著作の中で、北朝鮮で偽名として使っていたことを明らかにしています。これについて飯塚繁雄さんは「日本に帰りたい一心で必死に脱出しようともがいていた姿を思うと不びんでならない。一刻も早く助け出したい」と話しています。
拉致事件を巡っては25日、拉致被害者の家族会が外務省を訪れて早急な経済制裁などを訴える予定で、田口さんの家族も田口さんの早期救出を改めて強く求めることにしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/01/24/d20050124000139.html
子供がいるから帰して、田口さん訴えも 日刊スポーツ 05年1月25日
北朝鮮による拉致被害者田口八重子さん(失跡当時22)が拉致された直後、「生まれたばかりの子供がいるから日本に帰してほしいと訴えたが聞き入れてくれなかった」と地村富貴恵さん(49)に話していたことが25日、分かった。田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)が明らかにした。
田口さんは1978年6月に拉致される1年ほど前に、長男の飯塚耕一郎さん(27)を出産している。
繁雄さんが昨年6月、地村さんから聞いた話によると、田口さんは「生まれたばかりの子供がいる」と北朝鮮の担当者に自分の妊娠線まで見せて涙ながらに訴えたことを、拉致直後同じ招待所で暮らしていた地村さんに話したという。
また田口さんは、北朝鮮が制作した映画で親子が登場したり、離れ離れになる場面を見るたびに泣いていたという。
繁雄さんは「この話を聞いて耕一郎もいたたまれない気持ちだだったろう。生まれたばかりの息子と引き裂かれた妹の気持ちを思うとやるせない」と話した。(共同)
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050125-0026.html
拉致被害者は"
工作員村"
にいた 05年9月15日 NHKクローズアップ現代
1979(昭和54)―八重子さん、蓮池夫妻・地村夫妻・横田めぐみさんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育
1981〜83―金賢姫(工作員名金玉花)に日本人化教育
1984〜85―八重子さん&めぐみさん、金淑姫に日本語教育。めぐみさんの教え子には後の夫キム・チョルジュンも
1986(昭和61)―“チュンリョン里”(忠龍里)を離れる命令で平壌に、敵工地へ
1987(昭和62)―大韓航空機爆破事件(11月)以降、日本人化教育は中止→翻訳など
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050915000182.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000027.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000194.html
シン元工作員と田口さんに接点浮上 TBS NEWS i 06年1月20日
北朝鮮による拉致事件で新事実です。地村さん夫婦を拉致した疑いが出ている北朝鮮のシン・ガンス元工作員と田口八重子さん拉致事件との間に接点が浮上しました。シン元工作員の配下の男が、田口さんが勤めていた飲食店にたびたび出入りしていたことが警察当局の調べで新たにわかりました。
シンガンス元工作員をめぐっては、地村保さんが「シン元工作員に拉致された」などと証言。また、曽我ひとみさんも「横田めぐみさんを拉致したのはシン元工作員だった」などと証言し注目が集まっていますが、警察当局の調べで、シン元工作員と田口八重子さん拉致事件との間にも接点があったことが新たにわかりました。
それによりますと、田口さんは東京の飲食店で働いていましたが、シン元工作員とつながりを持つ在日韓国朝鮮人の男(70)がこの店にたびたび出入りしていたということです。
この男は、シン元工作員の指示を受け、韓国で米韓軍事演習「チームスピリット」の訓練計画書を入手するなど、工作活動を行っていました。
田口さん拉致事件では「宮本明」を名乗る工作員が関与していた疑いのあることがわかっていますが、警察当局はシン元工作員と田口さん拉致事件との関連についても慎重に調べを進めています。(20日16:55)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3207534.html
田口さん拉致にも関与か 辛、チェ両容疑者の協力者が接触 産経 06年2月26日
北朝鮮による地村保志(ちむら・やすし)さん夫妻拉致事件で逮捕状が出た元工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)の協力者だった在日朝鮮人の男が、拉致被害者、田口八重子(たぐち・やえこ)さん=失跡当時(22)=が勤めていた東京・池袋の飲食店に客として出入りしていたことが25日、警察当局の調べで分かった。
蓮池薫(はすいけ・かおる)さん夫妻拉致事件で逮捕状が出た工作員チェ・スンチョル容疑者の協力者も同店に通っていたことが既に判明。警察当局は田口さん拉致にも両容疑者が何らかの形で関与した可能性があるとみて、拉致実行犯のネットワーク解明を進める。
調べでは、在日朝鮮人の男は辛容疑者の指示で米韓軍事演習「チームスピリット」の訓練計画書を韓国で入手したとされる北朝鮮の補助工作員。田口さんが失跡した1978年6月以前に、客として飲食店に行っており、警察当局は田口さんとも面識があったとみている。
この男は、韓国の裁判所が「辛容疑者は北朝鮮で『密封収容』されていた」と認定した時期に当たる79年に東京都内で同容疑者と会っており、警察当局が辛容疑者はこの時期も日本に出入りし、78年には地村さん夫妻の拉致を実行したと断定する根拠の一つになった。
一方、チェ容疑者の協力者は「宮本明(みやもと・あきら)」の日本名と「李京雨(り・きょうう)」の朝鮮名を持つ男で、辛容疑者の協力者とほぼ同時期に、田口さんの店に頻繁に出入り。田口さんに「いい仕事があるよ」などと話し掛けていたことが分かっている。
85年に警視庁が摘発した「西新井事件」でチェ容疑者が借りたアパートの保証人になるなど、同容疑者の活動に協力。87年の大韓航空機爆破事件では自殺した工作員の男が使っていた偽造旅券の入手にも関与したとされる。(共同)
http://www.sankei.co.jp/news/060225/sha045.htm
よど号グループ:拉致の2人 田口さんと同地区にいた 毎日 07年2月12日
よど号事件グループによって欧州から拉致された疑いの強い松木薫さん(当時26歳)と石岡亨さん(同22歳)が、国内で拉致された田口八重子さん(同22歳)と一時、平壌郊外の同じ地区の招待所にいたとみられることが分かった。拉致被害者の地村富貴恵さん(51)が、田口さんから聞いた話として関係者に証言した。2人は「『別荘がある』と誘われた」と語っていたという。「日本革命が目的」とされるよど号拉致被害者が他の被害者と同様の処遇を受けていた可能性が高まった。
富貴恵さんの証言によると、田口さんは平壌郊外の地区の招待所に80年ごろ住んでおり、近くの招待所に日本人男性2人がいたと話した。2人が「北朝鮮はいい所と聞いてきたが大したことなかった」と話していることも聞いたという。
メンバーの元妻の八尾恵・元スナック店主の証言では、グループが有本恵子さん(同23歳)を「市場調査のアルバイト」とだまして拉致したことが判明している。新たな証言は、松木さんらも同様の手口だったことを裏付けるものだ。
グループによって拉致された3人については、目的の違いから他の被害者と待遇などに差があるとの見方があり、これまでに判明している接点は、曽我ひとみさんとジェンキンスさんが百貨店などで、石岡さんや有本さんらしき2人を見た、とする証言だけだった。
富貴恵さんの証言では、富貴恵さんは、拉致された直後の78年9月から招待所で田口さんと同居していたが、79年11月に地村保志さんと結婚して別れた。その後、別地区の招待所に夫妻でいたが、84年秋ごろ近くの招待所に移ってきた田口さんから話を聞いた。富貴恵さんは「帰国して松木さんらに間違いないと思った」と話しているという。
松木さんと石岡さんは、80年5月ごろスペインで失跡。88年9月に石岡さんが、松木さんや有本さんと北朝鮮にいることを実家に手紙で伝えた。失跡直前にバルセロナで石岡さんとメンバーの妻2人が一緒にいる写真の存在も判明。八尾元店主は「彼女たちが日本人男性2人を獲得したと聞いた」と証言している。
よど号事件 70年3月31日、過激派の赤軍派メンバー9人が、羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取った国内初のハイジャック事件。韓国・金浦空港で乗客を解放した後、4月3日に北朝鮮入りした。その後女性(妻)らが合流したが、01年以降妻子らは順次帰国。死亡や逮捕で、北朝鮮に残るメンバーは4人で、グループでは8人。83年の有本恵子さん拉致事件でメンバーの安部(現姓・魚本)公博容疑者が国際手配されている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070212k0000m040126000c.html
又聞きかよ〜。地村富貴恵さんが何を持って断定したのかは不明だが、よど号ルートの方々は目立つ存在なのだろうか?
キム元死刑囚 拉致問題を語る NHK 09年1月15日
大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚がNHKの電話インタビューに応じ、自分の教育係をさせられていた拉致被害者、田口八重子さんについて「生きていると確信しているし、力になれるのなら家族に会いたい」と述べ、拉致問題解決への思いを明かしました。キム元死刑囚は12年前に結婚したあと、公の場に姿を見せておらず、報道機関のインタビューに応じたのはそれ以来だということです。
北朝鮮の工作員だったキム・ヒョンヒ元死刑囚は、1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯として韓国当局に逮捕され、死刑が確定しました。その後、特赦で刑の執行を免れ、本の執筆や講演活動を行ってきましたが、12年前に結婚したあと公の場に姿を現さなくなりました。キム元死刑囚は、電話インタビューに対し「韓国では過去5年間、大韓航空機爆破事件の真相がねじ曲げられ、わたしやわたしに日本語を教えていた八重子さんの存在を否定するような報道がありました。わたしが生きていることを示すことが、八重子さんが北朝鮮にいることを証明し、拉致問題の解決につながると思った」とインタビューに応じた理由を話しました。そして、北朝鮮で自分の日本語教育係をさせられていた拉致被害者の田口八重子さんについて「2年ぐらいいっしょに生活して、彼女から日本について習いました。彼女とは国籍を離れてほんとうの姉妹みたいに暮らしましたが、彼女は子どもたちに会いたいと言って涙を流していました」と話しました。また、5年前に初めて公の場に出て救出活動を始めた八重子さんの長男の飯塚耕一郎さんについて「ニュースで見ました。親子というのは隠すことができず、目がそっくりです。あんなに大きくりっぱに育っているのを見て涙が出るほど感激しました。会って、お母さんのことを話してあげたい」と話しました。そのうえで、7年前の日朝首脳会談で、北朝鮮が八重子さんをはじめ一部の拉致被害者が死亡したと説明したことについて語りました。キム元死刑囚は「北朝鮮の機密を知っている日本人拉致被害者を帰国させると、北朝鮮の工作機関や工作員に関する情報が外部に漏れるおそれがあるので『被害者は死亡した』と説明していると考えられる」と指摘し「八重子さんたちが今も生きていると確信しているし、拉致問題解決の力になれるのなら、八重子さんの家族に会って『希望を持ちなさい』と呼びかけたい」と述べました。
http://www3.nhk.or.jp/news/t10013573771000.html#
田口八重子さん、韓国人と結婚か…帰国拉致被害者が伝える 読売 09年2月12日
日本人拉致被害者の田口八重子さんについて、2002年10月に北朝鮮から帰国した拉致被害者5人のうちの1人が日本政府に対し、田口さんが北朝鮮で韓国人とみられる男性と結婚したとの情報を伝えていたことが、政府関係者の話でわかった。
政府関係者によると、帰国した拉致被害者の1人は、北朝鮮側が田口さんが死亡したと説明している1986年7月の数か月後、平壌市の「楽園商店」で買い物をしている間、自分の運転手が田口さんと会ったと証言した。この時、運転手は田口さんと面識があったため話しかけたところ、田口さんから「私は義挙者(ウィゴジャ)と結婚している」という話を聞いたという。義挙者とは、北朝鮮の工作機関内で当時、韓国人拉致被害者などのことを意味している言葉だった。ただ、結婚相手がどんな人か、田口さんはそれ以上は話さなかったという。
別の拉致被害者も、田口さんについて「敵工部と呼ばれる機関にいた」との情報を聞いたと証言。敵工部は対韓国工作などを行っていた朝鮮人民軍傘下の部署で、韓国人拉致被害者も所属していたという。
北朝鮮側は日本政府に対し、田口さんは日本人拉致被害者の原敕晁(ただあき)さんと84年10月に結婚し、原さんが病死後の86年7月、旅行中に交通事故で死亡したと説明していた。しかし、帰国した拉致被害者は「同じ招待所にいたが、原さんと結婚はしていなかった」と証言しているほか、北朝鮮が示した交通事故記録にも不自然な点があることから、政府は北朝鮮に再調査を要求している。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090212-OYT1T00107.htm
拉致2女性、北で結婚か 『田口さんは韓国人と』 『松本さんは日本人と』 東京新聞 09年2月12日
【ソウル=築山英司】日本政府が北朝鮮による拉致被害者と認定している日本人女性二人が、北朝鮮で結婚したとみられることが十一日、分かった。日本政府関係者が明らかにした情報で、同政府関係者は認定拉致被害者十七人のうち、少なくともこの二人は北朝鮮で生存している可能性が高いとみている。
日本政府関係者によると、一九七八年に拉致された田口八重子さん=当時(22)=と七七年に鳥取県米子市から拉致された松本京子さん=同(29)。田口さんは韓国人男性と、松本さんは別の日本人男性と結婚したとの情報があるという。
田口さんは、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(47)への日本語などの工作員教育を担当。八四年に、すでに帰国した拉致被害者、地村富貴恵さんの住んでいた平壌近郊の忠龍里(チュンリョンリ)に移った。八六年以降は別の軍の拠点に移ったが、地村さんの証言から田口さんは韓国人と結婚したという。
韓国の拉致被害者団体「拉北者家族会」の崔成竜(チェソンヨン)代表によると、北朝鮮関係者から二〇〇六年初め、拉致され韓国人男性と結婚した横田めぐみさんとは別の日本人女性が、拉致された韓国人男性と一緒に住んでいると聞いたという。
北朝鮮側は、田口さんは拉致被害者の原敕晁さんと結婚し、一九八六年に交通事故で死亡したと主張していた。また、松本さんは少なくとも二〇〇二年まで、北朝鮮の軍関連の貿易会社に在籍していたとみられる。
◆田口さん家族と金元工作員 韓国『遠からず面会』
【ソウル=福田要】中曽根弘文外相は十一日、韓国の柳明桓(ユミョンファン)外交通商相とソウルで会談し、国際舞台での協力関係を強化することを確認した。柳外通相は会談後の記者会見で、一九八七年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(47)と拉致被害者の田口八重子さんの家族の面会が「遠からず実現すると承知している」と述べた。
金元工作員は今年一月、韓国メディアを通じて自分に日本語を教えた田口さんの家族との面会を希望。日韓両政府が調整に乗り出したが、韓国側が近い時期の実現に向け協力する姿勢を公式に明らかにしたのは初めて。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009021202000076.html
いつの間にか「生存している可能性が高い」という表記が・・・。この旦那は金英男さんと近しいのかも知れん
帰国の拉致被害者証言 田口さん「めぐみさんの面倒みたい」 産経 09年3月10日
■工作員と3人 2年間?同居
拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が北朝鮮の女工作員と同居しながら日本語教育に従事させられていたところに、田口八重子さん=同(22)=が「めぐみさんの面倒をみたい」と希望して合流し、一時3人で暮らしていたことが9日、帰国した拉致被害者が政府関係者にした証言で明らかになった。
時期は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(47)に日本人化教育をした後の昭和59年前後。めぐみさんと田口さんが同居していたことは既に判明しているが、その一部は女工作員との同居だったことになる。帰国被害者によれば、めぐみさんと田口さんは59年前後から61年夏ごろまで同居。このうち60年ごろまでは女工作員も一緒だったことが新たに判明した。女工作員は金賢姫元工作員の同僚の「金淑姫(キム・スクヒ)」。銃や爆弾などの取り扱いも訓練した女スパイだった。田口さんが自ら北朝鮮当局に「めぐみさんの面倒をみたい」と切り出したことは、それ以前にめぐみさんと面識があったか、同居したことを示唆している。当初は「田口さん−『金賢姫』」と、「めぐみさん−『金淑姫』」の2通りの組み合わせで工作員教育をさせられていた疑いが強まった。金賢姫元工作員は最近になって、「めぐみさんと『淑姫』が写った写真を見た」と証言している。
田口さんは3人で同居するまで、「(金賢姫元工作員との生活を終えた後)しばらく1人で生活した」と話していたことも新たに分かった。北朝鮮側は、田口さんは「61年7月30日に交通事故で死亡した」としているが、帰国被害者は「62年に運転手から、外貨商店で田口さんと会い、人民武力省のナンバーの車に乗っていたのを見たと聞かされた」とも話している。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090310/kor0903100134002-n1.htm
「九州で工作員に引き渡された」と田口さん、帰国被害者証言 産経 09年3月11日
拉致被害者の田口八重子さん=拉致当時(22)=が拉致された経緯について、「知り合いの男性に九州に連れて行かれた。工作員に引き渡され、(工作船で)北朝鮮に連れてこられた」と、別の日本人被害者に話していたことが10日、分かった。 田口さんからこの話を聞いた被害者が帰国後、政府関係者に証言していた。田口さんの拉致ルートについては未解明のままだが、政府や警察当局は拉致された状況の解明につながる情報として重視、慎重に分析を進めている。
政府関係者によると、田口さんから拉致された状況について告白されたのは平壌の牡丹峰招待所で一時期、共同生活していた被害者。田口さんらは工作機関の指導員から「(日本人同士は)互いに本名や生年月日、北朝鮮に来た経緯などは話すな」と厳命されていたため、共同生活を始めた当初は個人的なことは話さなかったが、次第にうち解け、拉致された経緯についても言及したという。帰国被害者の証言によれば、田口さんを九州に連れて行った男は「リムジンのような外車に乗っていた知り合い」と話していたという。田口さんは拉致された当時、東京・池袋の飲食店に勤務していた。
これまでの警視庁公安部などの調べでは、田口さんの拉致には、蓮池薫さん(51)、祐木子さん(52)夫妻を拉致したとして国際手配されている北朝鮮工作員、チェ・スンチョル容疑者(年齢不詳)の国内補助工作員とみられる在日朝鮮人の男(既に死亡)が関与していた疑いが強いことが判明している。警察当局は、九州まで田口さんを連れて行った男が、補助工作員と同一人物かどうかも含め捜査している。九州からは、昭和55年に大阪の中華料理店員の原敕晁(ただあき)さん=(同43)=が青島海岸から工作船で拉致された。北朝鮮側は田口さんについても「宮崎県の青島海岸から連れてきた」と説明している。
田口さんは帰国被害者に工作船で北朝鮮に連れてこられた直後の状況についても告白。「出迎え役のおばさんに『(日本に)子供がいるのになんで(北朝鮮に)連れてきたの。早く日本に帰して』と激しく訴えると、おばさんは『何でこの子(田口さん)を連れてきたのか』と工作員に言っていたようだった」とも話したという。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090311/kor0903110141000-n1.htm
田口八重子さん生存情報、被害者団体代表が伝える 読売新聞10年7月22日
【ソウル=前田泰広】北朝鮮に拉致された韓国人被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の崔成龍代表は22日、「信頼できる北朝鮮の情報源」から、日本人被害者の田口八重子さんが現在、平壌の万景台区域にある集合住宅で生活しているとの情報を聞いたと明らかにした。
田口さんは韓国人被害者の男性と結婚したとも聞いたという。
崔代表は「情報源」について、脱北者ではなく、平壌で働き、海外にも行き来する関係者だとしており、日本政府関係者にも、こうした情報を伝えたという。
崔代表は2004年、横田めぐみさんが韓国人被害者と結婚しているとの情報を入手し、日韓両政府が2006年、事実と確認したことがある。
北朝鮮は田口さんについて、日本人被害者の原敕晁さんと結婚後、1986年7月に死亡したと説明している。
(2010年7月22日10時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080118-931444/news/20100722-OYT1T00379.htm
キム元工作員「田口さんピョンヤンに」 TBS 10年7月31日
7月に日本を訪問したキム・ヒョンヒ元工作員が拉致被害者・田口八重子さんの家族と面会した際、「田口さんはピョンヤンにいる」と伝えていたことがわかりました。
「『八重子は今どこにいるんですかね?』と聞いたら、『平壌(ピョンヤン)にいますよ』という感じで小さな声で言ってくれました」(田口八重子さんの兄・本間勝さん)
これは東京都内で行われたキム元工作員との面会についての報告会で拉致被害者・田口八重子さんの兄本間勝さんが明らかにしたものです。長野県軽井沢町で面会した田口さんの家族に対し、キム元工作員は「田口さんはピョンヤンにいますよ」と話したということで、キム元工作員の口から田口さんの具体的な消息について語られたことが明らかになったのは初めてです。
田口さんをめぐっては7月22日に中井洽拉致問題担当大臣が6〜7年前までピョンヤンで生存していたという情報を得ていることを明らかにしています。(31日22:11)
「キム元工作員「田口さんピョンヤンに」」 News
i - TBSの動画ニュースサイト
田口八重子さん、昨秋まで平壌で生存の情報 読売 11年1月19日
北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(55)が昨年秋に平壌で生存していたとの情報を、
政府が昨年末、韓国で拉致問題に取り組む関係者から入手していたことが19日、わかった。
警察庁で情報の分析を進めている。
政府の拉致問題担当者が昨年12月、韓国を訪問。関係者は、田口さんが平壌市万景台(マン
ギョンデ)区域にある集合住宅に居住し、昨年の秋頃に韓国人の拉致被害者の男性2人と一緒に
いる姿が目撃された、との情報を提供したという。田口さんに関しては、昨年8月、衆院拉致
問題特別委員会で中井洽・拉致問題担当相(当時)が「2003年まで元気で平壌に住んでいた
との情報がある」と発言していた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110119-OYT1T00958.htm?from=y10