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李恩恵(リ・ウネ)拉致疑惑

通常のまとめ+小泉訪朝後の情報で構成されています。あと当時の認識に沿って「疑惑」という表記にしております

肝心なところで「犯罪被害者」だということが理解できてなかったな〜 

 1988年2月、テレビでこの「李恩恵」の似顔絵を見て怖いなーと思いました。度々この似顔絵をテレビで見ますが、いつになっても慣れません。さて、1月15日、金賢姫が大韓航空機を爆破した経緯について語る時に、李恩恵(リ・ウネ)という女性から日本語を習ったと言ったようです。しかし、なぜに日本語を教える人物が「り・うね」なる名前なのか非常に理解に苦しみます。どうして、日本女性の名前ではないのでしょうか?よくニュースでやっている中国残留孤児なのかと思いました。また、頭の中では「過去に日本で意行方不明になっていた女性が、気がついたら何故か金賢姫に日本語を教えていた」という、一番重大な部分が抜け落ちた認識でした。

 これほど重大な問題だと言うのに、我が小学校では何の説明もありません。親も話題にすらしません。少なくともこの時点では、一連の流れが、あまりに特撮やsF系・友情系アニメのようなので、信用しきれないというか、受け止めきれない部分がありました。これほどニュースでやっているのに、(今振り返れば)大人がこの事件に懐疑的なのは、「共産信仰」と呼ぶべきイデオロギーの問題でしたが、子供にとっては「ひょっとしたら『スタードッキリまる秘報告』なのではないだろうか?」という、大人とは別の懐疑的になる相応の理由がありました。

 3年生になったある日の放課後、自転車で交番を通りががったとき、まさに「この人を知りませんか?」という、李恩恵のポスターが貼ってあったので、しばらくそれを見入っていました。この時、テレビでのニュースを初めて身近な「本当のこと」として受け止めるようになりました。しかし、このポスターを見ても協力しようもなく時が過ぎ、91年ごろ、再びこの問題がテレビで取り上げられて「どうも誰なのか特定できた・・・らしいが、でも誰さん?」という、結局どの辺にどのような事件性があったのかが全くわからないまま、しかも実名で報道されなかったこともあり、ほとんどわけがわからないまま、小泉訪朝まで突入してしまいました。

この女性を知りませんか!
昭和55年以前に行方不明となった
 ○ 年齢…現在27歳から36歳
 ○ 身長 … 165センチ前後
 ○ 顔の輪郭 … 四角形
 ○ 髪の色 … 黒色
 ○ まゆ毛 … 一直線
 ○ 皮膚の色 … 浅黒い方
 ○ 目 … 大きく、二重まぶた
 ○ 歯 … 白くきれい、虫歯なし、歯並び良い
 ○ メガネ … かけていない(視力悪くない)
 ○ 声 … 太くてハスキー
 ○ 足長  … 25センチ前後 
110番か、最寄の警察署、
派出所等に連絡して下さい。             
警察庁
これは手持ちの雑誌に写っていたポスターをスキャンしようと思ったがだめだったので、代わりになるべく忠実に再現した「ポスターもどき」。オリジナルについて金賢姫元工作員は「95点のでき」という。

    
金賢姫が「李恩恵である」と言った、拉致被害者田口八重子さんの写真



2−李恩恵特定までの流れ

88.1.15 金賢姫会見=恩恵という教育係の存在→誰だ?

88.1下旬 増元るみ子さん、奥土(現蓮池)祐木子さん、浜本(現地村)富貴恵さんのうち誰か?→3人ともハズレ

88.2.7 日本の警察と面談、より詳細な情報&似顔絵→ポスター作成

88.2中旬 沢田研二のファンで、招待所の犬に「ジュリー」と名づけていたことが報じられる

88.3.26 梶山答弁により、事実上の拉致認定6件9人(久米さん・原さん・アベック3組+李恩恵)

90.金賢姫、北海道冬季アジア競技大会の際『千歳空港』を聞く→そういえば「ちとせ」と書いて消したが本名か?
  「ちとせ」は勤務先で使っていた名前だったことが判明

91.5.14 金賢姫、日本の警察が持ってきた写真から田口八重子さんの写真を見て「李恩恵である」

91.5.15 埼玉県警が田口八重子さんであると発表(報道は匿名)

91.5.20 第3回日朝国交正常化交渉、以降消息を聞こうとするも・・・



3−日朝国交正常化交渉 

a 金丸訪朝 90年

 
田辺誠社会党代表団が89年3月30日に訪朝。この時、竹下登総理の「この地域の人々に対し、過去の関係についての深い反省と遺憾の意を表したい」とする見解を金日成が「評価」して、自民党訪朝団の受け入れを許可。これを受けて90年9月、金丸信副総裁&田辺の自民党・社会党代表団が訪朝。金丸は金塊をたくさんもらった。金丸は自民党の代表として国交正常化や統治時代の補償とともに、なぜか『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交す。
 1983年、北朝鮮兵士閔洪九の亡命事件に関連して北朝鮮にスパイとして拿捕され7年間服役していた「第十八富士山丸」の紅粉勇船長と栗浦好雄機関長の2名の釈放・帰国についても合意した。10月に小沢一郎氏と土井たか子氏が平壌に出迎えに行き、ようやく釈放。
 以下はその際の「礼状」

自由民主党と日本社会党はこれまで多年にわたり、第十八富士山丸船員の釈放のための切なる要請を行ってきました。この要請を考慮した朝鮮労働党の勧告に従い、今般、朝鮮民主主義人民共和国政府は、共和国の法律を侵害した罪で一五年の労働教化の刑罰を受け服役中の第十八富士山丸の紅粉勇船長と乗浦好雄機関長を人道的見地から大赦令を実施し釈放のうえ日本に返すことにしました。自由民主党と日本社会党は人道主義的立場から第十八富士山丸船員に対して寛大な措置を取られた朝鮮労働党と朝鮮民主主義人民共和国政府に深い感謝の意を表します。自由民主党と日本社会党はこの際、両名が共和国の法律を二度と犯さないようにし、帰国後、両名の言動が日朝友好関係発展に支障を与えることのないよう、あらゆる努力を約束します。

結局李恩恵については全くなし。当然石岡さんの手紙(88年届く)も黙殺されていた。そればかりか、何の関係もない「南北朝鮮分断後45年間についての補償」、釈放された2人は口封じ。そのくせ金丸は金塊をもらい、ハマコーによると田辺は金丸から5000万もらったという、最低最悪な訪朝であった。
 ここで小沢一郎なわけである。民主党政権で拉致被害者の返還がなされると、このようになる可能性が高い。


b 日朝国交正常化交渉 1〜8回

この金丸訪朝を受けて91年〜92年の計8回、国交樹立のために行われた。この交渉の3回目の直前、「李恩恵は田口八重子さんの可能性が非常に高い」との埼玉県警の発表があったので、それ以降、李恩恵の消息を間接的に確認したが、そうこうしているうちに交渉で取り上げようとしたら北朝鮮が退席される始末だった。こうした経緯から朝日新聞の伝説的な「拉致問題は国交正常化の障害」なる論理が生まれたとも思われるが、実際は取り上げらてすらいなかったという。まあ、金丸訪朝の副産物だからうまくいくわけがなかったとも言えるが。

日本

北朝鮮

1回会談(平壌、1991・1・30−31)

「賠償」「補償」は応じない、「戦後45年の償い(*1)」の義務なし、核査察協定の受け入れを求める

公式謝罪と「賠償」「補償」を求める

2回会談(東京、199131112)

「北朝鮮の管轄権は南に及ばない」との確認を求め、日韓併合条約(*2)の合法・有効性を主張

管轄権確認を拒否、日韓併合条約は武力によるもので不法・無効と主張

3回会談(北京、1991・5・20−22)

「一括解決」の要求、李恩恵(*3)消息調査

正常化問題と経済・国際問題の切り離しを要求、李恩恵問題に反発し次回の日程を決めずに終了

4回会談(北京、1991・8・30−9・2)

李恩恵の調査を要求、「戦後の償い」を拒否

李恩恵の調査を拒否、「戦後の償い」の義務ありと主張

5回会談(北京、1991・11・18−20) 

基本問題で突っ込んだ討議

核問題で日本の安全への強い懸念を表明、核査察受け入れを求める

日本人妻の消息について回答

6回会談(北京、1992・1・30−2・1)

李恩恵問題、核問題の対立

従軍慰安婦問題について謝罪と補償の要求

7回会談(北京、1992・5・13−15)

核問題の解決なしに正常化は難しい

核問題は米朝間で解決

8回会談(北京、1992・11・5)

李恩恵の調査を要求

李恩恵の名前が出ると会談場から退席



4−韓国安企部 KAL858便爆破犯、金賢姫関連資料―金賢姫と日本警察官との面談事項」要旨 88年2月7日  朝日新聞


 
大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫が服毒自殺に失敗し、翌88年(昭和63年)に事件の概要を明らかにした。この際、日本から拉致された李恩恵から、日本人に扮するための教育を受けたと語った。そのため「李恩恵は誰なのか?」という話になり、すでに産経のスクープにより拉致だと見られていたアベック3組の女性、増元るみ子さん、02年に帰国した奥土(現蓮池)祐木子さん、浜本(現地村)富貴恵さんのうちの誰か、特に「恵」の字から富貴恵さんじゃないかとも言われたが違った。2月7日、韓国安企部から詳細な情報+有名な似顔絵が発表され、捜索用のポスターが作成された。その結果91年(平成3年)5月15日、埼玉県警が田口八重子さんであると発表(報道は匿名)した。

 
李恩恵に関する部分のみ抜粋、これに有名な似顔絵がセットになっているようです

【身元状況】
・名前=日本名不詳、朝鮮名=李恩恵(北朝鮮で金日成首領<主席>、金正日指導者同志<書記>の恩恵を多く受けていたという意味でつけられた仮名)
・国籍=日本
・出生地=東京、前住所=日本の東京地方
・年齢=現在三十〜三十一歳くらい(誕生日は7月5日)(81年、東北里招待所に収容された次の日の7月5日、「恩恵」の誕生日祝いがあったので、確実に記憶している)
・職務=平壌東北里招待所日本語担当指導員
・学校=高校卒業程度
・家族=79年ごろ拉致された当時、3歳の息子と1歳の娘がいた▽親戚が多数東京にいた

【印象】
・顔の形=四角形で広い方、頬は肉付きがいいほうではないが、四角形なので実際より大きく見える
・額=普通の広さだが四角形にへこんでいる▽これを隠すため両方の髪をたらし、額の横を覆う
・まゆ=一文字型でまつげは普通
・目=大きくて少し二重気味
・鼻=特徴のない普通の鼻
・口=普通の大きさで唇も別に厚くはなく、唇をグッととじてもえくぼは出来ない
・印象特徴=顔全体の輪郭は整った方ではないが醜いようには見えず、目が西欧型で顔全体の中で最もきれい▽体全体に無駄毛が多く時々顔を剃っており、女性がどうして顔を剃るの、と聞くと、日本人や西洋人の女性は無駄毛が多く大部分がかみそりで剃るのだと語った

【体つき】
・身長=165センチ
・体重=56キロぐらい
・皮膚の色=やや黒い方
・髪の色=黒色((パーマをしているが後ろから見ると首から5〜20センチほど長く伸ばしている
・視力=いいほうでメガネは使わない▽外出時には度数のないサングラスをかける
・手=すべすべして大きい方
・足=25センチぐらい
・胸部=乳房は下に垂れ、乳首は黒くて大きい
・肩=普通の広さ
・腹=出てない方
・腰=細くない方
・ヒップ=普通の娘さんより大きい方
・声=大きい方で歌はうまくない
・血液型=知らない
・身体的特徴=傷、手術痕、種痘跡、ほくろはないが、腰に怪我をしたことがある▽後ろから見ると西洋人の女性に似る

【使用化粧品】
日本人なので、北朝鮮で外資の代わりに使う「兌換券」の供給を受け、外資専用店で化粧品を買って使用し、普通日本製の資生堂製品を使っている▽金賢姫は外国人でないので、外国製商品は買えない

【習慣及び態度】
▽椅子に座る時は足を組んで座り、別れの挨拶の時には手を上げて振るくせがある。▽学生時代、テニスで腰を痛め、神経痛を患ったと言い、椅子に長時間座って入られなかった。81年7月に初めて会った時は、約一週間ほど「915病院」で通院治療を受けており、83年3月、日本語教育が終わってから入院すると言っていた。▽招待所の浴室で一緒に風呂に入ったことがあるが、日本式の風呂の入り方といっても、特別に習ったことはない。▽酒が入ると呆然と座り込み、連れてこられた自分の人生を悲しいながら「子供達に会いたい、日本に帰りたい」と言い、涙をよく見せた。▽酒の種類に詳しく、指導員と一緒に飲む時などは、グラスに酒を入れたり、つまみを取ってくれるなど、酒席での面倒見がよかった。▽歌は下手な方で、終わりまで歌えた曲はなかった

【北朝鮮にら致された経緯】
▽高校を卒業した後、結婚したが離婚し、東京で息子(当時3歳)、娘(当時1歳)を育てていたが、海辺を散歩中のところをら致され、船で北に連れられてきた。▽日本には親戚が多数居住している。▽ら致当時、船酔いがひどく、何日間も食事が出来ず、こんすい状態が続いた。▽ら致後、牡丹峰(モランボン)招待所に収容されたが、、その時「子供達に会いたいと泣き」暴れるなど、環境に適応するのが大変だったという。▽酒に酔っていたとき、金正日(北朝鮮書記)の誕生日(2月16日)の晩餐会に、日本人女性として特別に招待されたことがあり、そこで自分達と同じようにら致されてきた日本人夫婦と会ったことがあると言ったが、この事実は他の人には絶対に漏らさないようにとクギを刺した。▽李恩恵(リ・ウネ)という名前は、金日成(主席)と金正日(書記)の恩恵をたくさんこうむって生きているという意味で、北朝鮮がつけてくれたものだと言い、日本名を尋ねると返事を避けながら「(南北が統一されれば)日本に帰る」と言っていた。▽招待所で一緒に入った時に見ると、乳房が下に垂れており、乳首が黒く大きいなど、処女でないことを確認できた。

【学習方法】
▽招待所で「恩恵」と同居しながら「恩恵」が作成した講義録によって教育。▽すべて日常生活は日本語だけ使う。
▽午前中は「恩恵」が作った講義内容を説明するといった教育を受け、午後は抗議録を受けた内容を暗誦し、講義内容のうち漢字や単語を暗誦。その他新聞、雑誌を読み、新しい単語を暗誦、日本語放送聴取

【教科書】
▽日本の国語教科書(1―6年生用)▽日本の中学校の国語及び歴史、地理教科書▽『金日成革命の歴史』(日本語版)
▽NHK放送ニュースと解説番組聴取▽日本の新聞(読売、朝日、日本経済新聞など)▽日本の雑誌(週刊讀賣、週刊朝日、週刊ポストなど)

【映画】
劇映画=「雪国」、「東京の夜」▽記録映画=「沖縄軍事基地」、「米空軍基地」、「日本の都市風景」など▽企画物=「家族」、「望郷」、「座談会」、「訪問記」ニュースなど。

【歌】
「島に嫁に行く(瀬戸の花嫁?)」「上野夜行列車(津軽海峡冬景色?)」「君をたずねて」「男はつらいよ」のテーマなど。

【日本の礼儀、風習、環境教育】
日本人の食生活。客の接待と家庭内での生活礼儀。食事及び食べ物の種類。汽車、車の利用方法及び交通秩序。日本の伝統祝祭日。主婦の日常生活。日本社会の秩序や東京の環境。日本各地域の特性や居住環境など。

ジュリーの歌は何処に・・・・・・あんまり憶えられなかったか?



5−恩恵と賢姫の日課
場所=東北里3号招待所
期間=1981年7月4日〜1983年3月

6:30〜8:00   朝食及び 
8:00〜8:30   特普(金日成首領・金正日の特性)についての資料を読む
8:30〜12:00  講義
12:00〜15:00 昼食及び休息
15:00〜17:00 復習
17:00〜18:00 散歩及び自由運動
20:00〜21:00 テレビをみる
21:00〜22:00 課外復習及び日本のラジオ放送を聴く
23:00〜     入浴
24:00〜     就寝
    
    ↑改めて当時を再現したという似顔絵 『忘れられない女』韓国版
なんか萌える響きだな〜



6−個人的検証
 

 御家族が小泉訪朝まで沈黙せざるを得なかった理由として、残した子供達へ(当時10代)の影響や、拉致された被害者なのに、むしろ加害者扱いされたということがある。それは、つまり国民が北朝鮮に対して正しい共通認識を持てなかったために、91年の警察発表時点で「八重子を返せ」と名乗り出られない状況を作ってしいたということだ。本来なら拉致被害者の救出運動は91年のこの時点でなされなければならなかったのは言うまでもない。
 当時小学生だったが、この時代を曲りなりに生きてきた者として、ご本人及びご家族の方に対して、非常に何とも申し訳ない気分である。だから、このような「空気」が形成された過程を漏れ自身も検証しなければならない。
 その「空気」に関して、北朝鮮とその言い分を何でも信用する朝日新聞や旧社会党らいわゆる進歩的文化人の影響が多大にあるのだが、その波及効果として以下のような問題があった

@ 北朝鮮の言い分「韓国の自作自演」を朝日新聞や旧社会党、進歩的文化人の支持→保守ダサイ、朝日カコイイ
A @により政治・警察など公権力の過剰否定→一般人の警察に対する信用性低下→韓国安企部のイメージ低下
B Aにより大韓航空機爆破事件自体が「胡散臭い・安企部の陰謀」などと言われる羽目になった

@〜Bについては散々指摘されていることだが(これ、金日成存命中の話なんだな)、これらを踏まえて



C 子供にとっては李恩恵の絵が「怖すぎた」

ということを指摘しなければならないだろう。これは以外と重要なことだと思う。大人ですら事実認識が歪んでいたのだから、怖い絵では「犯罪被害者」だということがなおさら分かりにくいではないか!そしてそれらすべてを踏まえたうえでさらに言わねばならないことだが、


D 子供にとっては李恩恵の絵が、まずいことに、あの「犯罪加害者」とかぶってしまった


↑は犯罪加害者です。やはり目撃した7人の刑事にとってはともかく、一般人の認識では「いるかいないのか分からない」存在でした。ちょっと前の84年(昭和59年)に浮上しました。

 1988年の時点で、北朝鮮による久米さん、原さんの拉致はすでに警察によって判明しており、その後李恩恵が田口さんだと調べたのも警察であった。にもかかわらず、この時代に「警察が調べたんだからこれは真面目に受け止めよう」などという姿勢がなぜ小学生だった漏れに芽生えなかったのだろうか(というよりそんな発表がきちんとみんなに分かるように報道されていたという記憶もないのだが)。当時の漏れも、警察よりも社会党を信用していたということなのだろう。今から考えると本当に悲しいことだ。
 結局、検証するとどうしても、「報道などで警察の話が出るときは、不祥事か捜査ミス→コメンテーターの警察批判→警察に対する信用が形成されなかった」という結論しか出ないのだ!漏れは登校前の朝7時か、ひとしきりファミコンをやった後の午後5時台のニュース番組をよく見ていた(なぜか趣味)からつくづくそう思うのだ。

そこでやはり、グリコ・森永事件において、警察がなすすべもなく犯人を逮捕できなかった事による、ある種の「警察不信」が当時の大人に浸透してしまったことは無視できないだろう。

E 「大韓機事件の捜査結果 韓国発表の要旨」


、88年1月16日の読売新聞に載っているのだが、「81年4月から83年3月までは、日本女子工作員と寝食をともにしながら、日本語と日本の風習云々」と書いてある。・・・・・・この後、熱心に報道を追っていれば実は拉致された人だというのが分かるのだが、これでは朝日信者でなくても早とちりな大人だと間違って「李恩恵=犯罪加害者」という図式をインプットしたままになってしまうのではないか?

いずれにしてもひどい話である。当時の読売・朝日両新聞を読んでみたのだが、いきなり78年のアベック3組失踪と李恩恵が関連付けられているのだが、今と違って当時は大人でも事前知識がないわけで、話が理解できないだろう・・・・・・。


7−工作員「宮本明」について
 

「宮本」は1922年7月26日、日本植民地時代の韓国済州道生まれ。「李京雨」との朝鮮名も持つ。

・西新井事件=「朴」と名乗る北朝鮮工作員が、北海道出身で1933年生まれの小住健蔵さん(61年ごろ失跡)に成り済ましていたのを警視庁が摘発。「朴」を旅券法違反容疑などで国際手配したが、「朴」が住んでいた東京・西新井のアパートの保証人が「宮本」で、「朴」は「宮本」が設立した貿易会社の専務を務めていた。

・大韓機事件=金賢姫・元工作員が「蜂谷真由美」名義、金勝一・工作員が「蜂谷真一」名義の旅券を所持。これは「宮本」が83年に、本物の蜂谷真一さんを東南アジア旅行に連れ出した際にだまして旅券を受け取っており、その際に偽造したとみられる。→警察庁は91年、李恩恵を田口さんと断定。この捜査過程で警察当局は「宮本」が池袋のキャバレーを数回訪れて田口さんを指名していたことを突き止めた。

『読売新聞』(88年1月28日)によると、公安は、85年2月に宮本が足立区内の病院に膵臓がんで入院していたが、4月はじめに自ら退院。しかし、その後姿を見せなかったので「死亡したのでは?」と見なしていたようだ。その後『週刊新潮』09年4月9日号では、08年に実行犯の1人として「複数の工作員と共謀して田口さんを日本海側に誘い出し、工作船に乗せて拉致した」と見なして逮捕状を請求するまで捜査は進んだが、警察もやはり85年4月の退院直後に死亡を確認したという。



8−拉致被害者田口さんの家族と金賢姫元工作員面会 (2009年3月11日) 

 北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さんの長男、飯塚耕一郎さんと、田口さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんが2009年3月11日、韓国・釜山市内の国際会議場で、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員と面会した。

〜感想

 ネット上では金賢姫の「韓国の母になる」「希望を持ちなさいよ!」発言や、耕一郎さんの腕を組む行為に対して色々叩かれているようで、確かに妙な感じがする(特に「抱いてもいいですか?」にはドキッとした)のだが、ただ拉致被害者も腕を組んだ写真があるし、まあ、向こうではああいう感じなのかも知れないな。
 今回の面会は政治的パフォーマンスの面も強かったが、冷静に考えると、かつての安明進逮捕は嵌められたという意味なんですかね?それはともかく、金賢姫と会うことで飯塚さん親子の精神的な負担が和らぐのなら、ぜひこれからも何度も続けるべきだ。過去の経緯を考えれば、飯塚家は特に手厚い補償が必要だと感じる。場合によっては日本で金賢姫を匿ってでも続けるべきだろう。その費用は、例えば金丸訪朝時に下賜された金塊でも充てれば良いだろうに。この会見の映像を見て「漏れも歳を取ったなーもうそろそろ30だよ^^」と思い、そういう意味で感慨深いものがあった反面、やはり時間が経ってしまったということを強く感じてしまった。結局こういう感覚はリアルタイムで当時から現在までの流れに触れたことがないとわらないのだろう。
 これは通過点に過ぎないのだけど、88年当時は「リ・ウネ、誰それ?いるの?(荒川区議、91年よりも後の妄言)」という状況からスタートしたのだから。それを思うと凄い進歩だな。

救う会ニュースも 

金賢姫氏と語ったこと、分かったこと−連続集会報告(2009/04/15)
金賢姫氏と語ったこと、分かったこと2−連続集会報告(2009/04/15)
金賢姫氏が飯塚家族会代表に手紙(2009/05/06)



9―田口八重子さんに関する情報

注意:可能な限り修正しますが、後でガセだったと判明する可能性のある情報も含まれてしまっていることをご了承ください。

1.拉致後の足取り 斜線は北朝鮮の発表

1978.6.29 高田馬場のベビーホテルに長女(3歳)・耕一郎さん(1歳)を残して失踪

1978.? 清津港から入国(『忘れられない女』元山海水浴場編)or南浦から入国(地村富貴恵証言)

1978〜79 牡丹峰招待所で地村富貴恵さんと生活「工作員になっても脱出したい」

 1979〜1986 蓮池夫妻・地村夫妻・横田めぐみさんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育
        大韓航空機爆破事件以降、日本人化教育は中止し翻訳などにかわったという


1980 松木薫さん、石岡亨さんと思われる男性2人が「だまされた・・・」と呟くのを目撃し、その事を地村富貴恵さんに喋る?
 同じころ、大聖山の食堂で40代日本人男性とお見合い、気に入らない→原さんか?84 原さんと結婚→専業主婦

1981.7〜1983.3 金賢姫(工作員名金玉花)の日本人化教育を担当 81〜84 横田めぐみさんと同居

1983.3〜腰の治療、ひとりで生活

1984頃〜86夏 自ら希望し横田めぐみさん+金淑姫と同居生活

1985.4 酔った運転手からセクハラを受ける→運転手が思想批判を受ける
 同じころ、地村富貴恵さんに「金賢姫から工作員になって脱出は不可能と言われ、諦めた」と語る

 1986 日本人は全員“チュンリョン里”(忠龍里)を離れることを命じられ平壌に→移動後日本人化教育続行

1986.7.20 地村夫妻・蓮池夫妻と別れる

 1986〜1991.10 ポンファ政治軍事大学で講師として活動

↓ 
1986.7.30 交通事故で死亡

1986.10 地村富貴恵さん、運転手から「デパートで見た」
       運転手八重子さんから「義挙者(ウィゴジャ=韓国人拉致被害者)と結婚している」と聞く

 1987.11.29 大韓航空機爆破事件

1988 金賢姫会見「李恩恵から日本語を教わった」

1991 安明進、複数の教官から「金賢姫の教育係は別に処罰されずにいる」と聞く
    =金賢姫が赦免を受け手記を出版するという時期まで確実に生きていた

1996 周辺への身分露出、アルコール中毒、頻繁な脱出の試みなど平壌市順安地区文化部所属招待所で外出禁止・隔離生活(『金賢姫からの手紙』の中で08年に西岡力氏が得た情報)


2.北朝鮮側の発表

a 第一次小泉訪朝 2002年9月17日

「1986年7月30日死亡」

これまで報道被害や世間の目、2人の子供への影響を考えて沈黙していた家族が沈黙を破る


b 日本政府調査団に対して提示した情報  2002年9月〜10月1日

(注)なお、李恩恵事件につき、北朝鮮側は、調査の結果、李恩恵なる日本人女性はいない旨発言。

1. 朝鮮名:コ・ヘオク 女

2.1955年8月10日生 当時23〜24歳

3.本籍:埼玉県川口市

4.出生地:埼玉県

5.住所:東京都豊島区

6.日本在住時の職業:飲食店勤務

7.入国経緯:工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない。

8.入国後:1978年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語の習得、現実研究および現実体験をした。1984年10月19日、原敕晁さんと結婚。1986年まで家庭生活。

9.死亡経緯:夫の死亡(1986年7月19日)後、精神的衝撃を受けていたが、数日して安定して帰宅する途中、1986年7月30日、ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡。この事故で、同人及び運転手を含む3名が乗用車で死亡、トラックの2人は重傷を負った。

10.遺骸:ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡に墓があったが、1995年7月の豪雨でサンウォルリ(上月里)の貯水池ダムの堤防が壊れ、墓が流された。

11.遺品:なし

12.原敕晁さんと結婚するも、子供なし。原さんもリンサン(麟山)郡で病気で死亡。

13.事故での死亡者と生存者に関する書類が存在するが、今後、法的仕組みが出来た時点で証言と文書を提供することができる。


c 第三回日朝実務者協議 2004年11月

・北朝鮮側からの説明
 ▽入国経緯 身分盗用に利用する相手を物色していた工作員が「青島海岸まで行こう」と田口さんを誘引した上で、1978年6月29日、青島海岸から田口さんを連れてきて、海州から入境した。拉致の実行犯であるリ・チョルスは、92年夏死亡した。
 ▽生活経緯 78年6月から7月までの間、地方の招待所で休息。78年7月から79年11月までの間、平壌市内の招待所で生活。79年12月から84年10月までの間、平壌市郊外および地方の招待所で日本語教育に従事、84年11月から86年7月までの間、麟山郡の招待所で家庭生活。特に、81年から84年までの間は、横田めぐみさんと一緒に生活していた。夫の原敕晁さんが平壌の病院に入院してからは、田口さんも平壌郊外の招待所に移り、原さんを見舞った。そこで他の日本人と一緒にいた可能性もあると思う。原さんと結婚後の84年11月から86年7月まで麟山の招待所で一緒に生活していた。
 ▽結婚 84年10月19日に原さんと結婚。初めは、年の差が離れているためちゅうちょしていたが、何回か会ううちに結婚に同意。これは、調査委員会の人間が特殊機関内に入って、関係者から話を聞いた。
 ▽死亡経緯 夫の死亡後、精神的な慰労のため元山に行って休息をとった後の帰宅途中、86年7月30日、馬息嶺で軍部隊の車と衝突して死亡。
 ▽事故処理 軍が事故後被害者を引き上げ、元山周辺の郡病院へと搬送した。軍から連絡を受けた当該機関は、元山基地に指示を出し、ひつぎを移送する準備をさせた後、遺体の引き渡しを受けた上で葬儀を行い、夫の墓地がある麟山に合葬した。
 ▽遺体 95年8月18日、豪雨により麟山郡上月里の貯水池ダムが決壊したため、流出した。遺品は死亡当時に焼却された。
 ▽田口さんの朝鮮名 田口さんは北朝鮮に入国して以来、コ・ヘオクとの朝鮮名で通しており、他の朝鮮名はなかった。
 ・証人からの聴取等
 ▽695病院の元医師および麟山郡招待所の接待員から、当時の生活状況に関する情報の聴取を行った。
 ▽馬息嶺交通事故につき、道路管理人から事故状況について聴取。
 ▽物証 馬息嶺交通事故資料
・これに対する反論

北朝鮮側の発表では、原敕晁さんが1986年7月19日に病死。田口八重子さんがそのわずか11日後に交通事故死となっている。他でも言えることだが、北朝鮮の発表では、帰国した蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我さんご夫妻以外は、すべて夫婦共に死亡しているという点である。

86年に死亡とあるが、元工作員安明進氏は、89年、金正日政治軍事大学の複数の教官から「金賢姫を教えた日本人教官は処罰されていない」と聞いている。

2002年10月の北朝鮮側の説明では、「工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない。」としていた。当時、田口さんが一人で青島海岸に行く理由など全くなく、あまりに不自然。今回は、工作員が宮崎まで誘引したと変更してきた。後に結婚したとされる原敕晁さんは1980年、辛光洙等によって宮崎県青島海岸から拉致されている。

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2004.11.25-2)
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200411/20041125-2.htm


3.証言等まとめ

いつの時点でどんな話が出ていたか。
情報が入り次第追加修正し続けますが、不完全かつ不正確なものなので過度にあてにしないように

    88年〜小泉訪朝以前 しょうもないものも多いようなので代表的なもののみ選んだ

金賢姫証言 

 
省略

日朝国交正常化交渉(第4回会談)における北朝鮮側の発言とされるもの 91年8月〜9月

日本側が希望するならば李恩恵を副団長級にあげてやろう

→同じ頃の「有本さんを会わせてやるから会見やめろ」になんとなく似てませんか?帰さないor亡くなったなら「知らない」で押し通せばいいのに、何故にこのような発言をするのだろうか?この時点では本人を出す気があったのだろう。そして出した場合、確実に寺越さんの如く「行方不明者が見つかったことにする→家族が訪朝(本人には自由意志を発する場はなし)」という構図になってしまうだろう


安明進証言 

有名なやつ(98年9月現代コリア)

九一年に日本で身元が判明し、大きく報道されても何の処罰も受けず、ただ所属が同じ対南工作部署内の三号庁舎で、対外情報部から社会文化部に移されたというだけだと大学内で聞いていた。彼女が反抗などをしたわけでもない以上、処罰される理由がない。それに工作員の日本人化教育のために利用価値がある間は利用される。むしろ、拉致問題が大きくなれば、対日交渉の力ードとしての利用価値も出てくるから、よけい手出しはしないと思う。

a SAPI0 94年2月24日号 作家落合信彦に「李恩恵のその後」を聞かれる

日本側が李恩恵の居場所を突き止めてから、不意打ちに李恩恵の居場所に行きたいと要求するかもしれないから、住居を移したと聞いていた。今現在は、どこにいるかは知らない。(もう殺されている可能性はありませんか?に対して)いえ、殺してはいないでしょう。工作員の日本人化教育をする日本人は絶対的に数が足りない。(ソウルの街再現はできないので)そのため、ほとんどが日本人による直接教育。日本の雑誌などを見せて教育しているようだ。

b 安明進国会衆議院拉致問題特別委員会意見陳述要旨 05年7月28

 北朝鮮が1986年に死亡といった田口八重子さんも1991年まで確実に生きていたという直接的な情報を持っており、全部合わせてで15人です。(略)田口八重子さんはやはり私たちの学校の先輩である金賢姫が韓国で1991年当時、赦免を受け手記を出版するという時期まで確実に生きていたという事実は、金賢姫に射撃を教えた金正日政治軍事大学射撃講座の咸教官から私だけでなく私の25期同期全部がいっしょに聞いた内容です。


李韓永(李一男)証言 SAPIO 96年6月25日号

李恩恵という日本女性もパーティーに参加した一人ですが、結局、引退して日本語の教師になりました。(用済みになっても)故国へは帰しません。例外としては、公式的に契約を結んだ日本と歌手とかは帰しますが、李恩恵のように誘引・拉致の結果平壌に来た人や、連絡部が騙して連れてきた人は絶対に一人も帰しません。

→横田めぐみさん報道のころ暗殺された。漏れがこの人を知ったのは多分98年の午後6時のワイドショー


「李恩恵はすでに処刑された」 張龍雲 文藝春秋 98年1月号

九二年に、日朝国交正常化交渉の席で、日本側が「李恩恵」の件を問いただし、交渉決裂した前後、アメリカのCIAは李恩恵が北朝鮮国内で処刑されたことを確認した、と言われている。この情報もまた、中国の公安ルートで入手された。

→中国の情報は信用できねーな


衝撃スクープ 韓国旧安企部が明かした「日本人拉致事件」の真相 サンデー毎日 00年11月12日号

 親族が重く閉ざし続けてきた口を、初めて開いてくれた。その証言は、静かに言葉少なだったが、愕然とさせられるものだった。「八重子の上の姉の誕生日が終戦記念日の8月15日。彼女はそれと近い日でした。戸籍上でも8月10日となっています。埼玉県警の刑事さんが連日来て、まあ(八重子に)近い情報もあったので、あの時はとりあえず認めてしまったのです。だけど、今でも八重子が李恩恵だとは信じてません」
韓国安企部、そして埼玉県警が決定的な根拠として発表した誕生日は「7月5日」。つまり、「李恩恵」特定の最大の根拠が食い違っているのである。この時代ならよくある、一カ月遅れで戸籍登記したという事実もない、と親族は明言した。
そして次の瞬間、親族は「あれは失踪届が出されてありましたから……」と言葉を濁した。八重子さんの失踪届には当然のことながら、住所、氏名とともに、生年月日が記載されている。なにゆえに、埼玉県警は「李恩恵」を「田口八重子」と結びつけたのか。
すでに死亡している母親が、失踪届を出す際、娘の誕生日を「7月5日」とでもしたのか。いずれにしても、戸籍謄本にある八重子さんの誕生日は「8月10日」なのである。

→要するに金賢姫と安明進の話は信用できないという記事。逆に誕生日の違いををもって工作員の話や警察発表は信用できないというと主張する方が厳しいと感じる(9,17以降はいくらでも言えるんだが・・・)。


「リ・ウネ」の名に日本側、確認急ぐ一幕…赤十字会談 読売 02年8月18日
 
【平壌18日】18日開かれた日朝赤十字会談の北朝鮮側の出席者名簿に、日本人拉致事件被害者の1人とされる「リ・ウネ」と同姓同名の女性が載っていることがわかり、会談直前に日本の外務省職員が北朝鮮側に問い合わせる一幕があった。「リ・ウネ(李恩恵)」は、1987年の大韓航空機爆破事件を起こした金賢姫・元北朝鮮工作員が日本語教育係だったと証言した日本人女性。警察などの調査で、78年に行方不明となった埼玉県出身の田口八重子さんとほぼ断定されている。
日本側の問い合わせに対し、北朝鮮側は「ウネは(北朝鮮では)ありふれた名前。日本の『山田花子』みたいなものだ」と
説明。実際、会場に姿を見せたリ・ウネさんは30歳ぐらいで、田口さんとは年齢が合わず、別人と確認された。

(読売新聞8月18日) http://www.yomiuri.co.jp/01/20020818i112.htm


   2002年9月17日 小泉訪朝 北朝鮮から「1986年死亡」と発表される


「李恩恵は地下室で殺された」人民軍エリート驚愕の証言テープ 文藝春秋 02年11月号

 
昔、日本で『まゆみ』の事件がありましたね。実は日本に渡って朝鮮総連と結託して、あの事件の日本人女性を海岸で拉致したのは、偵察局に勤務する私の親族の一人なのです。戦闘艦に載せて北朝鮮まで連れてきました。彼は其の功で勲章を貰ったそうです。其の後、確か1988年にソウルで開かれたオリンピックよりは前だったと思いますが、大韓航空機爆破事件の真相が暴露されると、其の日本人女性を地下室で殺害しました。実行した本人から聞いたので間違いありません

→同じ死亡情報でもこちらの方が幾分真実味があるが、記事全体が証言主の又聞き、伝聞だらけで皆スルーなんだが・・・。無視して良いだろう


田口さんと招待所で生活 拉致被害者の富貴恵さん 共同  03年5月30日

 北朝鮮による拉致被害者の地村富貴恵さん(47)が拉致直後、「死亡」と伝えられた田口八重子さん=失跡当時(22)=と北朝鮮の招待所で一緒に生活していたことが三十日、分かった。 関係者によると、地村さんは一九七八年七月に拉致された直後から約九カ月間、同年六月に拉致された田口さんとともに同じ招待所で生活し、朝鮮語などを学んだ。地村さんは田口さんを「八重ちゃん」と呼び、田口さんも日本に残した家族の話を打ち明けるなど、親しい仲になったという。地村さんは田口さんの朝鮮名「コ・ヘオク」は知っていたが、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員の教育係とされる「李恩恵」の名は知らなかったらしい。田口さんの消息について地村さんは「優秀な人だった。今はどこにいるか分からない」と話しているという。
(了) 05/30

http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/niccho/news/0530-402.html


田口八重子さんの印象明かす 会見の地村富貴恵さん 朝日 03年10月14日

 北朝鮮による拉致被害者で、福井県小浜市の地村富貴恵さん(48)は14日の記者会見で、北朝鮮で会った拉致被害者の田口八重子さん(不明当時22)と横田めぐみさん(同13)の印象を初めて詳しく語った。富貴恵さんは、拉致から2カ月後の78年9月から、保志さんと結婚する直前の79年11月まで、田口さんと招待所で一緒に生活していたという。招待所の指導員は、同時期に田口さんの朝鮮名を「高恵玉(コ・ヘオク)」、富貴恵さんの朝鮮名を「李英玉(リ・ヨンオク)」とつけたという。富貴恵さんは田口さんの印象について、「おない年だったので気があって、楽しく生活することができた。背が高くて、外見は大人っぽく見えたが、寂しがり屋で甘えん坊だったような気がする」と話した。大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚に日本語教育をし、田口さんと同一人物とされる「李恩恵(リ・ウネ)」の名に関しては、「私はそれは知らなかった」と述べた。横田めぐみさんについては、「86年に初めて会った。物静かでおとなしい感じの人で、自分から進んで話しかけてくるタイプでなかった」とし、「(田口さんと横田さんの)ほかに会った日本人はいません」と述べた。

http://www.asahi.com/national/update/1014/025.html


田口さん宮崎・青島で船に 拉致の状況を兄が公表 産経 04年1月18日
      
 拉致被害者の田口八重子さん=失跡当時(22)=の兄で、家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)が17日、埼玉県川口市で講演し、田口さんが拉致され、船に乗せられた場所について「宮崎県の青島」と初めて話した。
 飯塚さんは「(拉致現場は)これまで新潟県佐渡島と宮崎の青島の2つの説があった」とした上で「(田口さんは)青島から船に乗せられ、北朝鮮の南浦に連れて行かれた。その後、袋をかぶせられたという話を関係者から聞いた」と述べた。
 講演は「救う会埼玉」主催の支援集会で、市民ら約100人が参加した。

http://www.sankei.co.jp/news/040117/0117sha079.htm


総連関与なしに拉致はできない 北の補助工作員が初めて証言田口さん事件と接点?  産経  04年2月16日

 李工作員と支援の大物商工人を結ぶ北のスパイ。警察幹部がそう断言する男がいる。田口八重子さん=当時(二二)=拉致に関与した北朝鮮の李京雨(リギョンウ)工作員らを国内で支援していた補助工作員とみて、警視庁公安部が十数年前、内偵捜査を進めていた人物だ。その男が初めて取材に応じ、 「拉致は総連(在日本朝鮮人総連合会)の人間の関与なしにはできない」と、ようやく重い口を開いた。自民党の故金丸信氏は平成二年の訪朝前、総連中央本部を家宅捜索する方針を固めていた公安部の内偵事件を「圧力」でつぶしたとされる。その事件のコードネームは「零余子 (ムカゴ)」と呼ばれた。オニユリなどの葉の付け根にできる球状の芽のことで、捜査対象がこの男だった。容疑は外国人登録の申請内容に虚偽があったとする外国人登録法違反などだが、公安部の狙いは別にあった。公安部は昭和五十四年以降、工作員支援網の中心人物として総連系商社を経営していた大物商工人をマーク、その人脈解明を「やまぶき作業」と命名して続けていた。「男と李工作員に面識があるとの情報が寄せられた。自宅には不審なアンテナもあった。大物商工人とも親しく、李工作員と大物商工人を結ぶ人物として一躍クローズアップされた」と、公安部OBは振り返る。

http://www.sankei.co.jp/news/morning/16na1001.htm

金賢姫元工作員に手紙 田口八重子さんの長男 共同 04年2月23日
 
 北朝鮮による拉致被害者、田口八重子さん=失跡当時(22)=の長男の飯塚耕一郎さん(27)が23日、外務省を訪れ、大韓航空機爆破事件にかかわった金賢姫元工作員=韓国在住=あての手紙を斎木昭隆審議官に託した。
 同席した田口さんの兄で拉致被害者家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)によると、斎木審議官は「韓国の日本大使館を通じ渡したい」と答えたという。
 田口さんは1978年に拉致され、北朝鮮で金賢姫元工作員の教育係をしたとされる。耕一郎さんは「母のことを教えてほしい」と手紙に書き、金元工作員との面会を求めている。
 繁雄さんの子供として育てられた耕一郎さんは23日午後、東京都内で初めて記者会見する。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040223/20040223a4680.html


「金賢姫元工作員と面会を」田口さんの長男が外務省に手紙託す 産経 04年2月23日

 北朝鮮に拉致され死亡したと伝えられた田口八重子さん=拉致当時(二二)=の長男、飯塚耕一郎さん(二七)が二十三日、外務省を訪れ、田口さんについての情報提供を求めるため、昭和六十二年に大韓航空機を爆破した金賢姫・元北朝鮮工作員へあてた手紙を職員に託した。耕一郎さんが拉致被害者の家族として公の場に出るのは初めて。

 田口さんは昭和五十三年六月ごろ、高田馬場のベビーホテルに耕一郎さんら二人の子供を預けたまま拉致された。金元工作員に日本語などを教えていた「李恩恵」という女性が田口さんだったとされる。

 平成十四年九月に小泉純一郎首相が訪朝した際、北朝鮮側は「宮崎市の海岸で田口さんが『北朝鮮へ観光に行きたい』と言うので連れてきた。昭和六十一年七月、交通事故で死亡した」と回答した。

 田口さんの兄で拉致被害者の家族会副代表、飯塚繁雄さん(六五)に育てられた耕一郎さんは、繁雄さんが最前線に立って活動する姿を見て、一緒に活動することを決意。同省の斎木昭隆審議官に手紙を託した際、「今までずっとできなかった金元工作員との面会を果たし、母を捜したい」と求めた。
 
http://www.sankei.co.jp/news/evening/e24nat003.htm


「母よ元気で」「金元死刑囚も犠牲者」田口さん長男会見 朝日 04年2月23日
 78年に北朝鮮に拉致され、金賢姫(キム・ヒョンヒ)・元死刑囚の日本語教育係「李恩恵(リ・ウネ)」だったとされる田口八重子さん(不明当時22)の長男飯塚耕一郎さん(27)が、23日午後、東京都内で記者会見を開いた。耕一郎さんはこれまで、公の場に出たことはなかった。1歳の時に姿を消した母親への思いや、6年前、田口さんの長兄で育ての父親の飯塚繁雄さん(65)から母親について打ち明けられた時のことなどを語った。

 「田口八重子の長男です」。耕一郎さんは、報道陣のライトを浴びながら、ゆっくり言葉を選ぶように話し始めた。

 「今回(の記者会見)は勇気のいることでしたが、解決のきざしが見えないこの問題に、私なりに何かできないかと考えました」

 母親について「一片でも思い出をつかみたい」と思い、この日、金賢姫元死刑囚あての手紙を外務省に託した。「(李恩恵が)母と同一人物かどうか、お会いして確認したい」と書いたという。母への思いを問われると、「元気でいて下さい。心が詰まって、それ以上は何も言えない」と答えた。

 北朝鮮に対しては「悲しい国だと思う」。田口さんは死亡したと北朝鮮は発表したが、「確度のないものと信じている」とした。金元死刑囚については「怒りや憎しみは持っていない。彼女も利用された犠牲者だ」と述べた。

 繁雄さんに母親のことを打ち明けられたのは21歳の時。「何不自由なく幸せに育てられてきたので、衝撃はあったが、少しずつ事実を受け入れなければならないと思った」。同時に耕一郎さんは、事件をどう解決するべきかを考えるようになったという。だが、自分に大きな動きができるわけでもない。「もどかしい気持ちだった」と振り返った。

 真実を「告白」された後、繁雄さんへの気持ちが変わったかどうかとの質問も出た。この時、耕一郎さんは語気を強めて言った。「先ほどから申し上げている通り、飯塚繁雄は私のおやじです」

   ◇

 北朝鮮が02年に日本政府に明かした情報によれば、田口八重子さんは78年6月、宮崎県から北朝鮮に連れ去られた、とされる。北朝鮮での名前は「コ・ヘオク」。86年7月、交通事故で死亡したという。

 バグダッド発ソウル行き大韓航空858便(乗員・乗客115人)が爆破されたのは87年11月。実行犯の金賢姫・元死刑囚は、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本語を習ったと手記に書いている。

 しかし、北朝鮮は、田口さんが金元死刑囚に日本語を教えたことなど、大韓機事件とのつながりは否定している。

http://www.asahi.com/national/update/0223/044.html


左から兄さんの飯塚繁雄さんとご子息飯塚耕一郎さん。


拉致被害者:田口八重子さんの長男が初めて公の場に 毎日 04年2月23日

 北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(行方不明時22歳)の長男、飯塚耕一郎さん(27)が23日、東京都内のホテルで記者会見し、「元気でいてください。今後はあなたの奪還にまい進していく」と早期救出を訴えた。1歳の時に、田口さんが拉致されて以来、公の場に出るのは初めて。会見前に外務省を訪れ、母が「李恩恵(リウネ)」として日本語教育係をしたとされる大韓航空機爆破事件の実行犯の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚に情報提供を求める手紙を託した。

 田口さんは都内の飲食店員だった78年6月、託児所に耕一郎さんと2歳の長女を預けたまま行方不明に。耕一郎さんは伯父の飯塚繁雄さん(65)夫婦に引き取られた。

 田口さんが、北朝鮮に拉致されたと判明したのは、失跡から13年たった91年5月。金元死刑囚の供述などからだった。7年後、耕一郎さんが21歳になった夏に飯塚さんから母の存在を告げられた。「お前は、お父さんの一番下の、妹の子なんだ」。埼玉県上尾市の自宅近くのすし屋でそう切り出した飯塚さんは、会見で「既に成人し、大人としての人格を認めて安心して話した」と語った。

 「何不自由なく育った幸せな家族」と思いこんでいた耕一郎さんには大きな衝撃だった。「でも時間をかけて受け入れなければ。その時まで隠し続けてくれた家族には、感謝しよう」。そう思った。

 耕一郎さんは、被害者5人の家族の帰国で幕引きにされたくないと活動を続けている父の背中を見てきた。今回、沈黙を破った理由を「(拉致問題で)私なりに何かできないかと考えた。解決への第一歩になると信じたい」と述べた。

 耕一郎さんは情報通信関連の会社員で、海外出張など多忙な生活を送るが、今後は家族会に入会し活動するつもりだ。

http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040224k0000m040069001c.html


 田口八重子さん27年前の笑顔 産経 04年4月8日

子供と一緒の写真見つかる

 北朝鮮に拉致された田口八重子さん=当時(二二)=の二十七年前に撮影された写真がこのほど見つかり、長男、耕一郎さん(二七)の手に渡った。母親の記憶がない耕一郎さんは「幸せな家族だったと分かってよかった。早く母を日本に連れて帰り、笑顔を取り戻してあげたい」と話している。

 耕一郎さんを引き取って育てた田口さんの兄、飯塚繁雄さん(六五)によると、子供と一緒の田口さんの写真が見つかったのは初めて。

 保管していたのは、埼玉県川口市のアパートで田口さん一家と親しかった主婦、奈良好子さん(五九)。今年二月に初めて記者会見した耕一郎さんが「母の思い出を一片でも欲しい」と訴えるのをテレビで見て連絡した。

 「若いお母さんだったけど、けなげに子育てをしていた。笑顔が印象的で料理上手でした」

 撮影は昭和五十二年八月。自宅でくつろぐ田口さん母子三人と奈良さんの子供たちが写っている。その後、夫と別れた田口さんは東京都豊島区の飲食店で働き始め、五十三年六月に一歳だった耕一郎さんと二歳の姉を託児所に残して拉致された。

 色あせた写真の中に初めて見た、母の笑顔。「失われた時間はもう取り戻せない。幸せだった家庭がなぜ突然なくなり、二十年以上も放っておかれたのか」。耕一郎さんは憤りを新たにするとともに、いつか飛行機のタラップを下りてくる母を迎える日が来るのを固く信じている。

http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_53_1.htm

この写真提供したおばさん、当時と変わってないな〜


飯塚耕一郎さんの金元死刑囚への手紙は拒まれ 北海道新聞 04年5月30日 
    
田口八重子さんが拉致された時、長男は1歳 金元死刑囚への手紙は拒まれ… 飯塚さん 

 拉致被害者家族会副代表の飯塚繁雄さん(65)=埼玉県上尾市=は日朝首脳会談以降、落胆を深めている。妹の田口八重子さん=失跡当時(22)=は大韓航空機爆破事件の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚の日本語教育係李恩恵(リウネ)とされ、その長男で飯塚さんの養子耕一郎さん(27)は二月、元死刑囚に面会を求める手紙を出した。しかし最近、受け取り拒否が伝えられた。首相再訪朝でも田口さんの新情報は皆無。飯塚さんが家族の苦悩を語った。

 「思い出一つ持てずに母を奪われた。写真が一枚あるだけ。しかられたことも、抱っこされたことも、声を聞いたこともない」

 飯塚さんは一歳で母親を拉致された耕一郎さんの生い立ちを思いやる。

 田口さんは一九七八年、東京都内のベビーホテルに耕一郎さんと長女を残して失跡した。北朝鮮は前回の首相訪朝時「死亡した」と発表した。

 耕一郎さんが外務省に託し、金元死刑囚に面会を求める手紙を出したのは「母の思い出を一片でもほしい。記憶にない母親の像を少しでもつくりたいという悲壮な思いからだった」(飯塚さん)。しかし、外務省から最近「本人は手紙を受け取らない意向」との説明を受けた。理由の説明は一切ないという。

 金元死刑囚は現在、韓国政府の厳重な警備の下、外部との接触を断っている。飯塚さんは「息子も『簡単にはいかない』と覚悟を決めたようだが、丹念に思いを込めた手紙だったので、相当な落胆ぶりだった」と語る。

 一方で、飯塚さんは「受け取らないのは本人の意思ではないと思う。(元死刑囚の)著書から読み取れるのは『いろいろと話してあげたい』という思いだ。しかし、当局が許さないのではないか」と推測する。

 今回の首相再訪朝でも「死亡・不明」とされた十人について新たな情報はもたらされず、また期待を裏切られた。飯塚さんは「息子は再訪朝の結果に『この怒りをどこにぶつければいいのか』とやり切れない様子だ」と言う。

 飯塚さんは「あきらめるわけにはいかない。息子と二人で被害者救出のため、担える役割はすべて担っていきたい」と決意を語った。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040527&j=0071&k=200405277009


田口八重子さん、マレーシア経由で拉致か 読売 04年5月21日
    
 拉致被害者で、北朝鮮側が「死亡」としている田口八重子さん(当時22歳)が失跡した当日、貿易代表団の一員として来日していた北朝鮮の特殊機関の幹部が突然、予定を早め、マレーシアに出国していたことが、警察当局の調べで新たに分かった。

 田口さんはだまされて、この幹部に国外に連れ出された疑いが濃厚で、警察当局は渡航経路の確認を急ぐ一方、今後の日朝交渉で、こうした疑いを提示し、真相解明を迫る方針だ。

 1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚の教育係「李恩恵(リ・ウンヘ)」だったとされる田口さんは、東京・池袋の飲食店に勤めていた78年6月30日、2人の子どもをベビーホテルに預けたまま姿を消した。

 北朝鮮当局は一昨年9月、日本政府の調査団に、「宮崎市の青島海岸から船で連れ出した」などと説明したが、その後の警察当局の捜査で、田口さんが宮崎に向かった形跡や、当時、九州南岸に不審船が接近していたとの情報は確認できず、この説明を裏付けることはできなかった。

 このため警察当局は、当時の全国の空港や港の出入国記録を洗い直す必要があると判断。その過程で、田口さんが失跡した数日前から、北朝鮮の在マレーシア大使館の2等書記官が貿易代表団の一員として来日しており、この書記官が田口さんの失跡当日、当初の予定を切り上げ、成田空港からマレーシアの首都クアラルンプールに出国していたことが判明した。

 また、田口さんが失跡の数日前、店の常連だった在日朝鮮人の男から、「いい仕事がある。3日で帰れる」と誘われていた、という新証言も得られた。

 警察当局は、「李恩恵=田口さん」と断定した91年5月当時から、この常連客が、「宮本明」と名乗る在日朝鮮人の工作員と同一人物ではないか、とみていた。

 さらに、米韓両当局からの情報で、在マレーシア大使館の2等書記官を身分として、極東地域の工作活動の責任者をしていた北朝鮮特殊機関の幹部が、「宮本」工作員とマレーシアで接触していたこともつかんでいた。警察幹部は、「その幹部が、田口さんが失跡したその日にマレーシアに戻ったという新事実が判明したことで、ようやく点と点が1本の線につながった」と指摘する。

 警察当局では、「宮本」工作員にだまされた田口さんは、偽造パスポートを渡されたうえで、この特殊機関の幹部とともにマレーシアに渡り、その後、北朝鮮に連れ出された疑いがあるとみて、当時の航空便の記録や、北朝鮮に入ったルートの確認を進めている。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040521i104.htm

田口さん入国経緯は虚偽? 地村さん証言と食い違い 産経 04年9月17日
      
拉致被害者北朝鮮調査 

 北京で先月十一、十二日に行われた日朝実務者協議で北朝鮮側が伝えた拉致被害者の入国経路の調査結果の中で、田口八重子さん=拉致当時(二二)=の入国場所が、帰国した拉致被害者の証言と食い違っていることが十六日、分かった。二年前の日朝首脳会談で北朝鮮側が「死亡」や不明などとした十人の安否不明の拉致被害者について、金正日総書記は今年五月、「あらためて調査をやり直す」と約束したが、再調査でも信用できない説明をしていたことになる。

 北朝鮮側は北京での実務者協議で、田口さんの入国場所を、北朝鮮南西部の「海(ヘ)州(ジユ)」と伝えてきた。ところが、拉致直後から田口さんと同じ招待所で暮らしていた福井県小浜市の地村富貴恵さん(四九)は帰国後、田口さんの兄、飯塚繁雄さん(六六)に「八重子さんは南浦(ナンポ)港に連れてこられたと聞いた」と証言した。

 二年前の日朝首脳会談で、北朝鮮側は、日本政府が認める拉致被害者十五人のうち十人について「死亡」、「承知していない」と伝えてきたが、科学的根拠が一切なかったため、日本政府は再調査を要求。今年五月の二度目の首脳会談で金正日総書記はあらためて調査し直すことを約束した。

 これを受けた先月の実務者協議で、北朝鮮側は「調査は継続中」とし、拉致被害者らの入国経緯・場所のみを伝えたが、その説明にも信用できない内容が含まれていたことが表面化した形だ。飯塚さんは「北朝鮮がうそをついている一つの証拠」と反発している。(09/16)

http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm


田口八重子さんと横田めぐみさんの同居時期の説明で食い違い  04年11月21日
拉致被 害者・田口八重子さんが横田めぐみさんと一緒に暮らしていた時期について、日朝実務者協議での北朝鮮側の説明が蓮池薫さんらの証言と異なることがわかった。

 北朝鮮側は「81年から84年まで」としているが、日朝関係者によると、蓮池薫さんらは「84年から86年まで」と証言している。北朝鮮側が説明した時期は、大韓航空機爆破事件の金賢姫元死刑囚に対し、「李恩恵」という女性が日本語を教えていたとされる時期と一部重なっている。

 家族会では、北朝鮮側が田口さんと「李恩恵」が同一人物であることを否定するために、時期を変えた可能性もあるとみている。

 一方、拉致被害者・曽我ひとみさんの夫で、禁固30日の判決を受け、収監中のジェンキンスさんについて、刑期が短縮され、今月末には釈放される可能性が極めて高いことがわかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20041120/20041120-00000021-nnn-soci.html


田口さんが金賢姫に日本語指導 地村さん証言 毎日 04年12月9日
 
 北朝鮮側はこれまで、大韓航空機事件への関与だけでなく、田口さんは朝鮮名で「高恵玉(コヘオク)」と言い、「李恩恵」とは無関係、と主張している。
 関係者によると、富貴恵さんは子供が帰国した今年5月以降、田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)や政府関係者に対して証言している。富貴恵さんが78年7月に拉致された直後から招待所で一時同居していた田口さんから聞いた「オッカという工作員に日本語を教えている」との内容だ。
 富貴恵さんは「オッカ」という発音しか知らないとされる。これに対して、87年11月に起きた大韓航空機爆破事件の実行役の金元死刑囚は、韓国側の調べで、工作員として指導員から教育を受け始めた時に、今後は「金玉花(キムオッカ)」との偽名を使うよう指示された。金元死刑囚は「金玉花」の名前で、旅券を作成したことも分かっている。
 また、金元死刑囚に対して、日本語を教えたとされる「李恩恵」を名乗る日本人女性は、日本側の警察当局の調べで、金元死刑囚の供述などから田口さんであることが判明している。 大韓航空機事件への関与を否定している北朝鮮側は、先月の日朝実務者協議でも、田口さんが横田めぐみさん(行方不明時13歳)と81年から84年まで一緒に生活していたと説明。金元死刑囚が「李恩恵」と同居して教育を受けたとされる期間と重なることから、家族会などは、横田さんの履歴を捏造(ねつぞう)して李恩恵を否定したと批判している。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041209k0000e040085000c.html" target="_blank"

→拉致被害者によりやはり李恩恵=田口八重子さんであると。当然といえば当然だが、これでミスっていたらまた大谷や鳥越に叩かれていたんだろうな


田口八重子さんの救出要求へ NHK 05年1月24日
 これは田口さんの兄の飯塚繁雄さんらが、地村富貴恵さんから直接聞いたものです。それによりますと、田口さんは昭和53年6月に拉致されたあと、ピョンヤン市内で一緒に暮らしていた富貴恵さんに「工作員になってでも海外に出ていき日本大使館に駆け込もうと思っている」と打ち明けたということです。その後昭和60年ごろ、田口さんは再会した富貴恵さんに「オッカ」と名乗る女性工作員に日本語を教えていたと話したうえで「その女性工作員に『私も工作員になれるだろうか』と尋ねると絶対に無理だと言われ脱出を断念した」と話したということです。オッカという名前は、大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ元死刑囚が自分の著作の中で、北朝鮮で偽名として使っていたことを明らかにしています。これについて飯塚繁雄さんは「日本に帰りたい一心で必死に脱出しようともがいていた姿を思うと不びんでならない。一刻も早く助け出したい」と話しています。
 拉致事件を巡っては25日、拉致被害者の家族会が外務省を訪れて早急な経済制裁などを訴える予定で、田口さんの家族も田口さんの早期救出を改めて強く求めることにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/2005/01/24/d20050124000139.html


子供がいるから帰して、田口さん訴えも 日刊スポーツ 05年1月25日

 北朝鮮による拉致被害者田口八重子さん(失跡当時22)が拉致された直後、「生まれたばかりの子供がいるから日本に帰してほしいと訴えたが聞き入れてくれなかった」と地村富貴恵さん(49)に話していたことが25日、分かった。田口さんの兄飯塚繁雄さん(66)が明らかにした。
 田口さんは1978年6月に拉致される1年ほど前に、長男の飯塚耕一郎さん(27)を出産している。
 繁雄さんが昨年6月、地村さんから聞いた話によると、田口さんは「生まれたばかりの子供がいる」と北朝鮮の担当者に自分の妊娠線まで見せて涙ながらに訴えたことを、拉致直後同じ招待所で暮らしていた地村さんに話したという。
 また田口さんは、北朝鮮が制作した映画で親子が登場したり、離れ離れになる場面を見るたびに泣いていたという。
 繁雄さんは「この話を聞いて耕一郎もいたたまれない気持ちだだったろう。生まれたばかりの息子と引き裂かれた妹の気持ちを思うとやるせない」と話した。(共同)

http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050125-0026.html


拉致被害者は
"工作員村"にいた 05年9月15日 NHKクローズアップ現代

1979(昭和54)―八重子さん、蓮池夫妻・地村夫妻・横田めぐみさんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育
1981〜83―金賢姫(工作員名金玉花)に日本人化教育
1984〜85―八重子さん&めぐみさん、金淑姫に日本語教育。めぐみさんの教え子には後の夫キム・チョルジュンも
1986(昭和61)―“チュンリョン里”(忠龍里)を離れる命令で平壌に、敵工地へ
1987(昭和62)―大韓航空機爆破事件(11月)以降、日本人化教育は中止→翻訳など

http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050915000182.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000027.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000194.html




シン元工作員と田口さんに接点浮上 TBS NEWS i 06年1月20日
 北朝鮮による拉致事件で新事実です。地村さん夫婦を拉致した疑いが出ている北朝鮮のシン・ガンス元工作員と田口八重子さん拉致事件との間に接点が浮上しました。シン元工作員の配下の男が、田口さんが勤めていた飲食店にたびたび出入りしていたことが警察当局の調べで新たにわかりました。
 シンガンス元工作員をめぐっては、地村保さんが「シン元工作員に拉致された」などと証言。また、曽我ひとみさんも「横田めぐみさんを拉致したのはシン元工作員だった」などと証言し注目が集まっていますが、警察当局の調べで、シン元工作員と田口八重子さん拉致事件との間にも接点があったことが新たにわかりました。
 それによりますと、田口さんは東京の飲食店で働いていましたが、シン元工作員とつながりを持つ在日韓国朝鮮人の男(70)がこの店にたびたび出入りしていたということです。
 この男は、シン元工作員の指示を受け、韓国で米韓軍事演習「チームスピリット」の訓練計画書を入手するなど、工作活動を行っていました。
 田口さん拉致事件では「宮本明」を名乗る工作員が関与していた疑いのあることがわかっていますが、警察当局はシン元工作員と田口さん拉致事件との関連についても慎重に調べを進めています。(20日16:55)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3207534.html


田口さん拉致にも関与か 辛、チェ両容疑者の協力者が接触 産経 06年2月26日
    
 北朝鮮による地村保志(ちむら・やすし)さん夫妻拉致事件で逮捕状が出た元工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)の協力者だった在日朝鮮人の男が、拉致被害者、田口八重子(たぐち・やえこ)さん=失跡当時(22)=が勤めていた東京・池袋の飲食店に客として出入りしていたことが25日、警察当局の調べで分かった。

 蓮池薫(はすいけ・かおる)さん夫妻拉致事件で逮捕状が出た工作員チェ・スンチョル容疑者の協力者も同店に通っていたことが既に判明。警察当局は田口さん拉致にも両容疑者が何らかの形で関与した可能性があるとみて、拉致実行犯のネットワーク解明を進める。

 調べでは、在日朝鮮人の男は辛容疑者の指示で米韓軍事演習「チームスピリット」の訓練計画書を韓国で入手したとされる北朝鮮の補助工作員。田口さんが失跡した1978年6月以前に、客として飲食店に行っており、警察当局は田口さんとも面識があったとみている。

 この男は、韓国の裁判所が「辛容疑者は北朝鮮で『密封収容』されていた」と認定した時期に当たる79年に東京都内で同容疑者と会っており、警察当局が辛容疑者はこの時期も日本に出入りし、78年には地村さん夫妻の拉致を実行したと断定する根拠の一つになった。

 一方、チェ容疑者の協力者は「宮本明(みやもと・あきら)」の日本名と「李京雨(り・きょうう)」の朝鮮名を持つ男で、辛容疑者の協力者とほぼ同時期に、田口さんの店に頻繁に出入り。田口さんに「いい仕事があるよ」などと話し掛けていたことが分かっている。

 85年に警視庁が摘発した「西新井事件」でチェ容疑者が借りたアパートの保証人になるなど、同容疑者の活動に協力。87年の大韓航空機爆破事件では自殺した工作員の男が使っていた偽造旅券の入手にも関与したとされる。(共同)

http://www.sankei.co.jp/news/060225/sha045.htm


よど号グループ:拉致の2人 田口さんと同地区にいた 毎日 07年2月12日
   
 よど号事件グループによって欧州から拉致された疑いの強い松木薫さん(当時26歳)と石岡亨さん(同22歳)が、国内で拉致された田口八重子さん(同22歳)と一時、平壌郊外の同じ地区の招待所にいたとみられることが分かった。拉致被害者の地村富貴恵さん(51)が、田口さんから聞いた話として関係者に証言した。2人は「『別荘がある』と誘われた」と語っていたという。「日本革命が目的」とされるよど号拉致被害者が他の被害者と同様の処遇を受けていた可能性が高まった。

 富貴恵さんの証言によると、田口さんは平壌郊外の地区の招待所に80年ごろ住んでおり、近くの招待所に日本人男性2人がいたと話した。2人が「北朝鮮はいい所と聞いてきたが大したことなかった」と話していることも聞いたという。
 メンバーの元妻の八尾恵・元スナック店主の証言では、グループが有本恵子さん(同23歳)を「市場調査のアルバイト」とだまして拉致したことが判明している。新たな証言は、松木さんらも同様の手口だったことを裏付けるものだ。
 グループによって拉致された3人については、目的の違いから他の被害者と待遇などに差があるとの見方があり、これまでに判明している接点は、曽我ひとみさんとジェンキンスさんが百貨店などで、石岡さんや有本さんらしき2人を見た、とする証言だけだった。
 富貴恵さんの証言では、富貴恵さんは、拉致された直後の78年9月から招待所で田口さんと同居していたが、79年11月に地村保志さんと結婚して別れた。その後、別地区の招待所に夫妻でいたが、84年秋ごろ近くの招待所に移ってきた田口さんから話を聞いた。富貴恵さんは「帰国して松木さんらに間違いないと思った」と話しているという。
 松木さんと石岡さんは、80年5月ごろスペインで失跡。88年9月に石岡さんが、松木さんや有本さんと北朝鮮にいることを実家に手紙で伝えた。失跡直前にバルセロナで石岡さんとメンバーの妻2人が一緒にいる写真の存在も判明。八尾元店主は「彼女たちが日本人男性2人を獲得したと聞いた」と証言している。

 よど号事件 70年3月31日、過激派の赤軍派メンバー9人が、羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取った国内初のハイジャック事件。韓国・金浦空港で乗客を解放した後、4月3日に北朝鮮入りした。その後女性(妻)らが合流したが、01年以降妻子らは順次帰国。死亡や逮捕で、北朝鮮に残るメンバーは4人で、グループでは8人。83年の有本恵子さん拉致事件でメンバーの安部(現姓・魚本)公博容疑者が国際手配されている。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070212k0000m040126000c.html

又聞きかよ〜。地村富貴恵さんが何を持って断定したのかは不明だが、よど号ルートの方々は目立つ存在なのだろうか?


キム元死刑囚 拉致問題を語る NHK 09年1月15日
大韓航空機爆破事件の実行犯、キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚がNHKの電話インタビューに応じ、自分の教育係をさせられていた拉致被害者、田口八重子さんについて「生きていると確信しているし、力になれるのなら家族に会いたい」と述べ、拉致問題解決への思いを明かしました。キム元死刑囚は12年前に結婚したあと、公の場に姿を見せておらず、報道機関のインタビューに応じたのはそれ以来だということです。

北朝鮮の工作員だったキム・ヒョンヒ元死刑囚は、1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯として韓国当局に逮捕され、死刑が確定しました。その後、特赦で刑の執行を免れ、本の執筆や講演活動を行ってきましたが、12年前に結婚したあと公の場に姿を現さなくなりました。キム元死刑囚は、電話インタビューに対し「韓国では過去5年間、大韓航空機爆破事件の真相がねじ曲げられ、わたしやわたしに日本語を教えていた八重子さんの存在を否定するような報道がありました。わたしが生きていることを示すことが、八重子さんが北朝鮮にいることを証明し、拉致問題の解決につながると思った」とインタビューに応じた理由を話しました。そして、北朝鮮で自分の日本語教育係をさせられていた拉致被害者の田口八重子さんについて「2年ぐらいいっしょに生活して、彼女から日本について習いました。彼女とは国籍を離れてほんとうの姉妹みたいに暮らしましたが、彼女は子どもたちに会いたいと言って涙を流していました」と話しました。また、5年前に初めて公の場に出て救出活動を始めた八重子さんの長男の飯塚耕一郎さんについて「ニュースで見ました。親子というのは隠すことができず、目がそっくりです。あんなに大きくりっぱに育っているのを見て涙が出るほど感激しました。会って、お母さんのことを話してあげたい」と話しました。そのうえで、7年前の日朝首脳会談で、北朝鮮が八重子さんをはじめ一部の拉致被害者が死亡したと説明したことについて語りました。キム元死刑囚は「北朝鮮の機密を知っている日本人拉致被害者を帰国させると、北朝鮮の工作機関や工作員に関する情報が外部に漏れるおそれがあるので『被害者は死亡した』と説明していると考えられる」と指摘し「八重子さんたちが今も生きていると確信しているし、拉致問題解決の力になれるのなら、八重子さんの家族に会って『希望を持ちなさい』と呼びかけたい」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/t10013573771000.html#


 田口八重子さん、韓国人と結婚か…帰国拉致被害者が伝える 読売 09年2月12日
 日本人拉致被害者の田口八重子さんについて、2002年10月に北朝鮮から帰国した拉致被害者5人のうちの1人が日本政府に対し、田口さんが北朝鮮で韓国人とみられる男性と結婚したとの情報を伝えていたことが、政府関係者の話でわかった。

 政府関係者によると、帰国した拉致被害者の1人は、北朝鮮側が田口さんが死亡したと説明している1986年7月の数か月後、平壌市の「楽園商店」で買い物をしている間、自分の運転手が田口さんと会ったと証言した。この時、運転手は田口さんと面識があったため話しかけたところ、田口さんから「私は義挙者(ウィゴジャ)と結婚している」という話を聞いたという。義挙者とは、北朝鮮の工作機関内で当時、韓国人拉致被害者などのことを意味している言葉だった。ただ、結婚相手がどんな人か、田口さんはそれ以上は話さなかったという。

 別の拉致被害者も、田口さんについて「敵工部と呼ばれる機関にいた」との情報を聞いたと証言。敵工部は対韓国工作などを行っていた朝鮮人民軍傘下の部署で、韓国人拉致被害者も所属していたという。

 北朝鮮側は日本政府に対し、田口さんは日本人拉致被害者の原敕晁(ただあき)さんと84年10月に結婚し、原さんが病死後の86年7月、旅行中に交通事故で死亡したと説明していた。しかし、帰国した拉致被害者は「同じ招待所にいたが、原さんと結婚はしていなかった」と証言しているほか、北朝鮮が示した交通事故記録にも不自然な点があることから、政府は北朝鮮に再調査を要求している。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090212-OYT1T00107.htm


拉致2女性、北で結婚か 『田口さんは韓国人と』 『松本さんは日本人と』 東京新聞 09年2月12日
 【ソウル=築山英司】日本政府が北朝鮮による拉致被害者と認定している日本人女性二人が、北朝鮮で結婚したとみられることが十一日、分かった。日本政府関係者が明らかにした情報で、同政府関係者は認定拉致被害者十七人のうち、少なくともこの二人は北朝鮮で生存している可能性が高いとみている。

 日本政府関係者によると、一九七八年に拉致された田口八重子さん=当時(22)=と七七年に鳥取県米子市から拉致された松本京子さん=同(29)。田口さんは韓国人男性と、松本さんは別の日本人男性と結婚したとの情報があるという。

 田口さんは、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(47)への日本語などの工作員教育を担当。八四年に、すでに帰国した拉致被害者、地村富貴恵さんの住んでいた平壌近郊の忠龍里(チュンリョンリ)に移った。八六年以降は別の軍の拠点に移ったが、地村さんの証言から田口さんは韓国人と結婚したという。

 韓国の拉致被害者団体「拉北者家族会」の崔成竜(チェソンヨン)代表によると、北朝鮮関係者から二〇〇六年初め、拉致され韓国人男性と結婚した横田めぐみさんとは別の日本人女性が、拉致された韓国人男性と一緒に住んでいると聞いたという。

 北朝鮮側は、田口さんは拉致被害者の原敕晁さんと結婚し、一九八六年に交通事故で死亡したと主張していた。また、松本さんは少なくとも二〇〇二年まで、北朝鮮の軍関連の貿易会社に在籍していたとみられる。

◆田口さん家族と金元工作員 韓国『遠からず面会』

 【ソウル=福田要】中曽根弘文外相は十一日、韓国の柳明桓(ユミョンファン)外交通商相とソウルで会談し、国際舞台での協力関係を強化することを確認した。柳外通相は会談後の記者会見で、一九八七年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(47)と拉致被害者の田口八重子さんの家族の面会が「遠からず実現すると承知している」と述べた。 

 金元工作員は今年一月、韓国メディアを通じて自分に日本語を教えた田口さんの家族との面会を希望。日韓両政府が調整に乗り出したが、韓国側が近い時期の実現に向け協力する姿勢を公式に明らかにしたのは初めて。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009021202000076.html

いつの間にか「生存している可能性が高い」という表記が・・・。この旦那は金英男さんと近しいのかも知れん


帰国の拉致被害者証言 田口さん「めぐみさんの面倒みたい」 産経 09年3月10日
      
 ■工作員と3人 2年間?同居

 拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が北朝鮮の女工作員と同居しながら日本語教育に従事させられていたところに、田口八重子さん=同(22)=が「めぐみさんの面倒をみたい」と希望して合流し、一時3人で暮らしていたことが9日、帰国した拉致被害者が政府関係者にした証言で明らかになった。
 時期は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(47)に日本人化教育をした後の昭和59年前後。めぐみさんと田口さんが同居していたことは既に判明しているが、その一部は女工作員との同居だったことになる。帰国被害者によれば、めぐみさんと田口さんは59年前後から61年夏ごろまで同居。このうち60年ごろまでは女工作員も一緒だったことが新たに判明した。女工作員は金賢姫元工作員の同僚の「金淑姫(キム・スクヒ)」。銃や爆弾などの取り扱いも訓練した女スパイだった。田口さんが自ら北朝鮮当局に「めぐみさんの面倒をみたい」と切り出したことは、それ以前にめぐみさんと面識があったか、同居したことを示唆している。当初は「田口さん−『金賢姫』」と、「めぐみさん−『金淑姫』」の2通りの組み合わせで工作員教育をさせられていた疑いが強まった。金賢姫元工作員は最近になって、「めぐみさんと『淑姫』が写った写真を見た」と証言している。

 田口さんは3人で同居するまで、「(金賢姫元工作員との生活を終えた後)しばらく1人で生活した」と話していたことも新たに分かった。北朝鮮側は、田口さんは「61年7月30日に交通事故で死亡した」としているが、帰国被害者は「62年に運転手から、外貨商店で田口さんと会い、人民武力省のナンバーの車に乗っていたのを見たと聞かされた」とも話している。

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090310/kor0903100134002-n1.htm

「九州で工作員に引き渡された」と田口さん、帰国被害者証言 産経 09年3月11日  

 拉致被害者の田口八重子さん=拉致当時(22)=が拉致された経緯について、「知り合いの男性に九州に連れて行かれた。工作員に引き渡され、(工作船で)北朝鮮に連れてこられた」と、別の日本人被害者に話していたことが10日、分かった。   田口さんからこの話を聞いた被害者が帰国後、政府関係者に証言していた。田口さんの拉致ルートについては未解明のままだが、政府や警察当局は拉致された状況の解明につながる情報として重視、慎重に分析を進めている。

 政府関係者によると、田口さんから拉致された状況について告白されたのは平壌の牡丹峰招待所で一時期、共同生活していた被害者。田口さんらは工作機関の指導員から「(日本人同士は)互いに本名や生年月日、北朝鮮に来た経緯などは話すな」と厳命されていたため、共同生活を始めた当初は個人的なことは話さなかったが、次第にうち解け、拉致された経緯についても言及したという。帰国被害者の証言によれば、田口さんを九州に連れて行った男は「リムジンのような外車に乗っていた知り合い」と話していたという。田口さんは拉致された当時、東京・池袋の飲食店に勤務していた。

 これまでの警視庁公安部などの調べでは、田口さんの拉致には、蓮池薫さん(51)、祐木子さん(52)夫妻を拉致したとして国際手配されている北朝鮮工作員、チェ・スンチョル容疑者(年齢不詳)の国内補助工作員とみられる在日朝鮮人の男(既に死亡)が関与していた疑いが強いことが判明している。警察当局は、九州まで田口さんを連れて行った男が、補助工作員と同一人物かどうかも含め捜査している。九州からは、昭和55年に大阪の中華料理店員の原敕晁(ただあき)さん=(同43)=が青島海岸から工作船で拉致された。北朝鮮側は田口さんについても「宮崎県の青島海岸から連れてきた」と説明している。

 田口さんは帰国被害者に工作船で北朝鮮に連れてこられた直後の状況についても告白。「出迎え役のおばさんに『(日本に)子供がいるのになんで(北朝鮮に)連れてきたの。早く日本に帰して』と激しく訴えると、おばさんは『何でこの子(田口さん)を連れてきたのか』と工作員に言っていたようだった」とも話したという。

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090311/kor0903110141000-n1.htm 



田口八重子さん生存情報、被害者団体代表が伝える 読売新聞10年7月22日

 【ソウル=前田泰広】北朝鮮に拉致された韓国人被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の崔成龍(チェソンヨン)代表は22日、「信頼できる北朝鮮の情報源」から、日本人被害者の田口八重子さんが現在、平壌の万景台(マンギョンデ)区域にある集合住宅で生活しているとの情報を聞いたと明らかにした。

 田口さんは韓国人被害者の男性と結婚したとも聞いたという。

 崔代表は「情報源」について、脱北者ではなく、平壌で働き、海外にも行き来する関係者だとしており、日本政府関係者にも、こうした情報を伝えたという。

 崔代表は2004年、横田めぐみさんが韓国人被害者と結婚しているとの情報を入手し、日韓両政府が2006年、事実と確認したことがある。

 北朝鮮は田口さんについて、日本人被害者の原敕晁(ただあき)さんと結婚後、1986年7月に死亡したと説明している。

2010年7月22日10時59分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080118-931444/news/20100722-OYT1T00379.htm

キム元工作員「田口さんピョンヤンに」 TBS  10年7月31日

 7月に日本を訪問したキム・ヒョンヒ元工作員が拉致被害者・田口八重子さんの家族と面会した際、「田口さんはピョンヤンにいる」と伝えていたことがわかりました。

 「『八重子は今どこにいるんですかね?』と聞いたら、『平壌(ピョンヤン)にいますよ』という感じで小さな声で言ってくれました」(田口八重子さんの兄・本間勝さん)

 これは東京都内で行われたキム元工作員との面会についての報告会で拉致被害者・田口八重子さんの兄本間勝さんが明らかにしたものです。長野県軽井沢町で面会した田口さんの家族に対し、キム元工作員は「田口さんはピョンヤンにいますよ」と話したということで、キム元工作員の口から田口さんの具体的な消息について語られたことが明らかになったのは初めてです。

 田口さんをめぐっては7月22日に中井洽拉致問題担当大臣が6〜7年前までピョンヤンで生存していたという情報を得ていることを明らかにしています。(31日22:11)


「キム元工作員「田口さんピョンヤンに」」 News i - TBSの動画ニュースサイト


田口八重子さん、昨秋まで平壌で生存の情報  読売 11年1月19日

 北朝鮮による拉致被害者の田口八重子さん(55)が昨年秋に平壌で生存していたとの情報を、
政府が昨年末、韓国で拉致問題に取り組む関係者から入手していたことが19日、わかった。
警察庁で情報の分析を進めている。

 政府の拉致問題担当者が昨年12月、韓国を訪問。関係者は、田口さんが平壌市万景台(マン
ギョンデ)区域にある集合住宅に居住し、昨年の秋頃に韓国人の拉致被害者の男性2人と一緒に
いる姿が目撃された、との情報を提供したという。田口さんに関しては、昨年8月、衆院拉致
問題特別委員会で中井洽・拉致問題担当相(当時)が「2003年まで元気で平壌に住んでいた
との情報がある」と発言していた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110119-OYT1T00958.htm?from=y10


 
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