江東区東陽で『ニート選挙』上映会

林田力

日本海賊党は2015年4月18日、映画『ニート選挙』の上映会を東京都江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で開催した。統一地方選挙の投票率の向上を目的とした選挙をテーマとした連続上映会の一環である。

『ニート選挙』はニートが市議会議員選挙に立候補して当選した実話に基づく作品である。主人公は実家暮らしのニートであるが、地元商店街がシャッター通り化していることに気付き、商店街活性化に取り組む。商店街空き店舗にニートのチャレンジショップを出店しようとするが、障害にぶつかり、政治を変えようと自ら出馬を決意する。

ニートが議員を目指すという筋書きに対しては、人生の一発逆転狙いという批判的な見解も出るだろう。世間には「貧困層は果たして弱者なのか」という見解があることも事実である(加藤宏光「『反貧困』という本を読んで」鶏の研究第84巻第5号)。

これに対して『ニート選挙』は商店街活性化という現実の課題に取り組む点で健全である。その活動も有権者宅を訪問し、話を聞くという「地べたを這いずり回った」ものであった。近時の所謂市民派候補の好むフェスティバル的な活動の対極にある。



『ニート選挙』は、あくまでニート(Not in Education, Employment or Training, NEET)の物語である。就職難という社会的背景は描いているものの、外出できないという引きこもりや生活に苦しむワーキングプアのような切実さはない。高等遊民的な存在である。「働いたら負けと思っている」のニートに近い。引きこもりやワーキングプアのイメージで本作品を観るならば違和感を覚えるだろう。

今の若者問題では真面目に働く若者が使い潰されるブラック企業問題が深刻である。『ニート選挙』の若者問題は、それとは別次元の問題である。ブラック企業問題を重視する人々にとっては本作品のニート達は牧歌的に思えるかもしれない。

私も違和感を覚えたシーンがあった。主人公は就職を決意するものの、ハローワークの求人は全て断られる。若者支援センターで清掃の仕事を紹介されるが、すぐに辞めてしまう。これは仕事を選り好みしているのではないか、職業差別意識があるのではないかと感じた。「どうせニートが働いてもすぐに辞める」という社会意識に説得力を与えてしまうのではないか。

但し、上映会終了後の意見交換では、「清掃労働者は低賃金で、将来に希望を持てる職業になっていない。だから絶望して辞めた主人公の気持ちは理解できる」との意見が出た。その説明は納得できるが、映画の描写から読み取れるか難しいところである。



『ニート選挙』は政治について考えさせられる。主人公には頭の固い保守層が立ちふさがる。商店街会長や二世議員である。ただ、少しステレオタイプに描きすぎている感がある。エンタメ作品としては面白いが、現実の二世議員は、むしろ政治家の行動が染み付いており、腰が低い人が多い。教条的な左翼運動家などより人間的には好感を抱ける人に見える。だから現実政治は政治の腐敗が叫ばれても保守優位の選挙結果になりがちである。

商店街会長に至っては主人公と本質的な対立構造にない。主人公側が適切な根回しをすれば、最初から協調することも可能であった。現実は商店街役員側が開発利権につられて、地域経済を衰退させる大型開発を推進するような抜き差しならない利害対立がある場合もある。大規模ショッピングセンターの誘致や商店街を分断する大型道路の建設などである。

面白い点は、拉致問題と脱原発問題に関心のある、おばさんを登場させていることである。二人からネット右翼とネット左翼をイメージした。主張内容は正反対でも原理主義的なところは似た者同士である。主人公のように逃げ出すことが正解である。一方で二人が一緒に仲良く活動し、「勉強します」というレベルの主人公を応援する展開はリアリティーに欠ける。周囲の人物が主人公を称揚する主人公補正である。



『ニート選挙』は議会政治についても考えさせられる。『ニート選挙』は当選した主人公が市議会で質問する際、議員達は主人公に野次を飛ばした。一方で、市長は主人公を評価する公正なアンパイア的な存在になっている。そこでは議員一人一人が首長に是々非々で提言する一対一の関係で、与党・野党という図式にはなりにくい。

しかし、市長も議員と同様、選挙によって選ばれる政治的な存在である。市長が悪政の元凶というパターンもありうる。そのような場合には議員が会派に結束して、野党会派間で共同し、首長に対抗することも必要である。

地方議会が古い既得権維持集団で、首長が改革への志を持っているという構図には一定のリアリティがある。田中康夫長野県知事や阿久根市の竹原信一市長、名古屋市の河村たかし市長、大阪府の橋下徹知事らを連想する(林田力「お騒がせ首長は改革者か暴君か」PJニュース2010年9月7日)。

政党というシステムが、あまり有権者に魅力的に映らないことも事実である。市民派の中にも無所属であることがかっこいい、無所属だから自由にできるという発想がある。『ニート選挙』も、そのような市民派の気質にマッチしている。

一方で古典的な政治学の素養からすれば議会政治の歴史は会派の歴史と言えるものであり、会派を否定して政治ができるかという感覚がある。会派に異を唱える立場には、その種の近代政治の常識を克服しようという問題意識を有しているために頭ごなしに否定できないが、会派について真剣に考える必要性を感じた。


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