何で『伊万里』??

日本で最初の磁器は、江戸時代の初め(1610年代)に九州西部の肥前国(現在の佐賀・長崎)で生まれた。
(誰が?どの窯が?は、諸説がいくつかあり、、、いずれ後述する)
肥前磁器というのが一番端的で良いと思うが、創始以来早くから、伊万里焼と呼ばれた。

有田周辺を中心に生産が始まり、大量輸送に便利な船が利用され、その船に積み込む港が伊万里港であった為、伊万里焼と呼ばれたという。
(もし、港がモカだったらモカ焼と呼ばれていたのでしょうね、笑。コーヒーの名前じゃぁ、爆)

『古伊万里』って・・・

しかし、伊万里港の積荷(焼き物)は実は様々であり、、、、有田の焼き物だけではなかった。
磁器に限れば大村藩の波佐見焼、平戸藩の三川内焼も出荷されていた。鍋島藩の支藩・蓮池藩の志田焼吉田焼も伊万里港であった。
他に陶器では唐津藩の陶器、武雄領内の陶器・磁器も積み出されている。
天保6年の積み出し記録(「伊万里歳時記」巻之二)によれば31万俵が積み出されたとある。
登り窯の数からしても有田周辺は圧倒的な数であり、半分以上は有田焼となる。

積出港の名から伊万里と呼ぶのであれば、唐津・武雄系陶器も伊万里と呼ぶべきであり・・・・汗。
少し強引と思われるかもしれない、、、、が、陶器も多少は含まれると意識した方が良いと思う。
堅苦しく云えば、です、ハイ、笑。

・・・・・好き放題、思いのまま書きなぐった、笑。
まとまっている様でまとまっていないっす。

ただ一口に古伊万里といっても、、、、、金襴手の古伊万里(スタイル・様式)を指す時に用いる言葉でもあるし、江戸時代に生まれた伊万里を呼ぶ時に用いる言葉でもある。
一つの言葉で時代を指す時に用いたり、様式を表したりするので、色々な時があり説明するには面倒で時間がかかる。。。。大汗。
極端に正確に言うのであれば、香蘭社の博覧会に出品された伊万里焼は、明治期の古伊万里様式と呼んでもなんら差し支えはない、笑。
明治に作られた元禄期の金襴手写しでも好い。嘘ではないし・・・・ガハハハ、言葉って便利ですね、爆。

・・・・そういえばこの業界に入り始め、ほんの駆け出し時分、まだ明治印判も染付の違いもわからなかった頃この手の明治の伊万里を古伊万里と間違えて見たことがあった、冷汗。

肥前の磁器であれば総じて伊万里焼と言われ続けたが、明治になって鉄道が開通し直接各地に出荷されるようになると、産地の名称が定着していき現在の有田焼・波佐見焼・三川内焼などと呼ばれるようになっていった。
話はどんどんそれてしまった、笑。
古伊万里とは古い伊万里焼の意味。江戸時代の伊万里全般を古伊万里とも呼ぶ。
いつ頃から古伊万里の名を使い始めたか?は定かでない。
ただ明治9年の博覧会に出品された香蘭社の壷と丼は、「内外古伊万里画染錦」「八角形染錦古伊万里絵」と出品目録に記されていた。
染錦とは染付と錦付(色絵・上絵付け)の造語。元禄期に完成された金襴手のことであり、染付と赤・金彩を多用した絢爛豪華な作品(スタイル・様式)、それを明治の香蘭社では染錦古伊万里と呼んだ。
狭義の意味で云えば古伊万里とは金襴手を指す。
広い意味で言えば古伊万里は初期伊万里も入るし、古九谷や藍九谷、柿右衛門や藍柿右衛門だって、、、、古伊万里の中の1様式、1ジャンルですもん。
同じ言葉・字でも時々によって時代を指したり、様式を指したり・・・・・・

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古伊万里ってなによ・・・